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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2018年01月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第376回2018/1/22 俊介の同時襲名から、早くも三年が経っていた。喜久雄にも俊介にも大きな変化はないようだ。
 
 登場した歌舞伎役者の中で、小野川万菊は、二代目半二郎に匹敵するほど紙数を割かれている。
 万菊の芸の凄みは、次のように描かれていた。
 
 広い劇場のなか、どこかにぽっかりと穴が空いているようで、今にもそこから何かが出て来そうな、そんな不気味さで客席全体が震え上がりそうになったまさにそのとき、まるで人魂のように、我が子を探し狂女となった小野川万菊が、花道に現れるのでございます。班女の前はそろりそろりと花道を舞台へ向かいます。その姿、その色、その陰影、まるでこの世のものとは思われず、円山応挙が描いた幽霊がそこに現れたかと思うほどのおどろおどろしさでございます。(95回)

 
また、その私生活では、マンションに住み、そこに海外のインテリアを施すなど、歌舞伎役者らしからぬ感性を見せていた。
 その万菊の亡骸が、ドヤ街の安宿で見つかるとは、万菊についての謎が深まる。

NHKテレビ 高麗屋 三代の春 ~襲名・松本幸四郎家 歌舞伎に生きる

 この番組を見て、驚いた。連載小説『国宝』で描かれている襲名への取り組みが、そのままドキュメンタリーになっていた。と言うよりは、事実を小説が忠実に描いているということだ。
 私には、職業とは一定時間働いて収入を得るためのもの、という概念が染みついているし、自分もそうして来た。
 ところが、自分の仕事、歌舞伎役者としての仕事にすべてをかける人が現実にいる、ことを改めて知らされた。
 映画やテレビとは違う場所で、伝統としての芸能を受け継いで来た役者が、昭和も平成も生き続け、支持を受け続けている。テレビやインターネットを通して楽しむ娯楽は、芸能の受け取り方の一部分に過ぎないのだ。
 
 新聞(朝日新聞2018/1/10 文化・文芸)記事に北島三郎の言葉として書かれていた。

 日本は戦争に負けて以降、苦しい時代、貧しい時代が続いた。そんな中で人々は海に出て漁をし、畑で作物を耕して‥‥。そうやって山坂乗り越えてきた。
 演歌は傷ついた人々や、それぞれの故郷で踏ん張っている人々の心を癒して励ましてきた。米国のジャズ、フランスのシャンソンのようにね。

 
演歌も、生の舞台が本当の舞台なのだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第375回2018/1/21

 前回の感想で、「不思議なのは」と書いたが、その疑問に対する答えが、俊介自身の口から吐露された。

 (略)私は、父が、この丹波屋の大名跡を継ごうとする席に立ちあうことができませんでした。これほどの親不孝があるかと、未だに、私は悔やんでも悔やんでも悔やみきれません。(略)

 (略)私は、あの子をこの腕の中で殺しました。(略)

 
 これが、語られなくては、俊介の復帰も、襲名も表向きのことだけになる。満員の観客の前で、本心を明かすことで、俊介は、歌舞伎の舞台へ本当に復帰し、本物の役者に近づいたと感じる。
 
 そして、本心を明かすことができた俊介の体に、本人も家族も気づかぬ病が巣くっていることを、作者は暗示していたと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第374回2018/1/20

 今の俊介に欠けていることはない。芸の精進は実を結んでいる。息子は、親の望む道を歩んでいる。妻と母は、家を見事に支えている。恩のある源吉の幹部役者昇進も叶い、大御所の役者から認められ、喜久雄の協力もある。
 気がかりは、俊介の体の異変だけだ。
 不思議なのは、父への俊介の思いと、出奔中の出来事が詳しく語られないことだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第373回2018/1/19

 私は、父と同じ業種の会社に入り、定年まで働いた。父と同じ仕事をしていることへの気持ちは、肯定と否定は半々だった。今、振り返ると否定的な考えはなくなっている。あるのは、仕事の本質にもっと迫りたかったという思いだけだ。
 私の世代は、個性は非常に大切にすべきもので、家業を継ぐことよりも、自分が好きな道へ進むことの方が価値が高いと、信じる人が多い。私も例外ではない。だから、家の仕事、親の仕事を継ぐことは、不自由な生き方だと思っていた。

 今、まさに、俊介は、一家揃って、丹波屋を継ごうとしている。俊介一家が丹波屋の継承を成し遂げることへの、周囲からの期待は極めて大きい。だが、父の芸を継ぐこと、丹波屋の伝統を守ることは、襲名披露公演で成就するものではないはずだ。

朝日新聞夕刊連載小説・津村記久子作・内巻敦子画『ディス・イズ・ザ・ディ 最終節に向かう22人』第46回 第8話 また夜が明けるまで⑦最終話 2017/12/8

あらすじ
 試合は後半に入り、浜松がフリーキックを得て、一点入る。試合終了直前、土佐が得点し、同点となる。この時は、スタジアム全体が揺れるような大歓声が上がる。その数十秒後、浜松がさらに得点し、浜松の勝利で試合が終わる。
 他会場の結果から、ヴェーレ浜松の一部への自動昇格が決まり、逆にモルゲン土佐は、三部降格が決まる。
 土佐が負けたのに、文子は、周りのサポーターに比べ、自分が意外にも平気であることに驚く。文子は、忍に「昇格おめでとう」と言う。さらに、忍を空港に送ると言う。その時になって、自分が泣いていることに気づく。
 忍は、泣いている文子の肩をつかみ、また一緒にサッカーを観ましょう、と言う。
 駐車場で、文子に電話が入る。電話は、文子が受け持っている不登校の生徒、棚野からだった。棚野は、文子に、残念だったね、でもいい試合だった、と言う。そして、親に思い知らせるためにおもしろいことは何もないという態度をとるのはもう疲れた、と言う。
 文子は後悔していたが、家庭訪問で、モルゲン土佐のことを話した気持ちは棚野にちゃんと伝わっていた。

感想
 応援の効果を信じられなかった忍は、考えを変えるだろう。応援しても、結果が出なければ何にもならないと思っていた文子も変わると思う。
 応援しても、結果が出なければ、応援したこと自体を否定することは往々にしてある。応援したチームが負けると暴れるようなサポーターはそういう考え方なのだろう。
 応援する心は、たとえ、それが実らなくても自分と周りを明るくすると感じた。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第372回2018/1/18

 前回の同時襲名(俊介の父と喜久雄)も、世間の話題をさらい、大阪歌舞伎界挙げての襲名披露公演になるはずだった。
 今回の俊介、一豊の同時襲名は、あの時を上回る盛り上がりぶりだ。前回との何よりの違いは、今の丹波屋に欠けるものがない所だ。
 だが、今回が華やかになればなるほど、幸子が心配したように、前回の襲名披露の舞台上の悲劇とそれに続く悲惨な運命を思い出してしまう。 
 襲名の口上に連なる喜久雄の口から、俊介の父のことが語られるのではないか。


 俊介が白虎を継いだので、喜久雄と俊介は、二代目半二郎の名跡を二人ともが襲名したことになる。しかも、一人の女、春江で二人は結ばれている。綾乃のことがあるので、喜久雄にとって、春江が過去の女と言うことにもなるまい。
 この幾重もの縁で結ばれた歌舞伎役者二人は、これから新たにどんな縁で結ばれていくのか。驚くような展開が準備されていそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第371回2018/1/17

 俊介の父と喜久雄の同時襲名の時と、似通っている所がある。俊介の体の異変、チケットのために舞台以外の仕事が増える、テレビのインタビュー番組への出演、これがどう発展するか、分からない。
 読者としては、父の場合と同じように、襲名披露の舞台と前後して、俊介の病が見つかると思わせられる。しかし、そういう筋立ては、覆されることが多い。覆されるならよいが、そのまま棚上げされると、私はどうも落ち着かない。
 前回で、この作品を読んでいて不満に思う事を挙げたが、松野のことや荒風の息子のことや徳次の中国行きが、断片の描写で終わってしまうなら、不満は増しそうだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第370回2018/1/16

①「語り手」を登場させる効果が感じられない。
②普通の小説というよりは、語り物、あるいは脚本の要素を持ち込もうとしているかと思わせたが、それが徹底していない。
③『太陽のカラヴァジョ』撮影の最終場面が書かれないが、喜久雄の心理的なダメージだけでは描写が足りないと感じる。
④辻村のことは、今後また語られると思うが、棚上げが長すぎる。
⑤俊介と春江の出奔中の暮らし、徳次の指、鶴若出演のテレビ番組、春江のバスケットボールの応援、綾乃と荒風の息子との酒席、ストーリーが広がるばかりで、読んでいて落ち着かない。
⑥昭和という時代背景がテーマの一つと思わせたし、昭和についての概念を覆す要素はあったが、バブル以後に時代が感じられない。

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