2018年02月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第409回2018/2/25

 京都の夜、焚火を囲んでいた市駒、俊介、喜久雄がそれぞれ老いた。
 どんなに平均寿命が延びようが、老いは確実がやってくる。喜久雄は、老境に入ることを、今後どのように受け止めるのだろうか?

「(略)不思議なもんで、病気じゃないって分かりゃ、けろっと元気になるんだよな」

 言葉は元気な市駒と喜久雄だが、やっていることは孫の写真に相好を崩しているおじいさんとおばあさんだ。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第408回2018/2/25 

 場面は、平成の日本であるのに、あまりにも特殊な光景とも言える。喜重が喜久雄の孫であることは間違いないし、綾乃は娘で、横綱大雷は婿だ。ところが、喜久雄には、妻だけとは言いながられっきとした家庭が別にある。
 さらに、妻の父、義父の吾妻千五郎は歌舞伎の名門役者でありながら、喜久雄が名乗っているのは、丹波屋の名跡三代目花井半二郎だ。
 現在の喜久雄に欠けるものはないのだが、このねじれともとらえられることは、今後の喜久雄に影響するように思われる。
 そして、このことはまるで、最期の舞台に立つための準備しているような俊介の存在にも関わるのであろう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第407回2018/2/23

 手放しで喜びに浸っている喜久雄がいる。
 喜久雄がどんなに応援しても、荒風関の相撲人生は寂しいものだった。喜久雄が最も悲しい思いをさせられたのは、綾乃が荒んだ生活に落ち込んだ時だ。
 寂しい思いを重ね、悲しい思いを散々味わったからこそ、心からの喜びを感じられるのだと思う。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第406回2018/2/22

 何かをみているわけでもなく、何かを考えているわけでもないからっぽの体、しかしそのからっぽの底が、そんじょそこらのからっぽの底とは違い、恐ろしく深いことが(略)

 これは、武士という新しい登場人物のことを言っている文章だ。だが、これほど喜久雄のことを表している表現は今までなかったと思う。喜久雄は、運命のままに生きているととらえていた。そこには、他律的で、合理性の無さが感じられた。そして、それは作為の無さと理知を超える大きさにも通じていた。
 損得を計算し、理知で物事を判断する生き方と、対極にある生き方を喜久雄はしてきている。それこそ、「からっぽ」なのだろう。その「からっぽさ」が「恐ろしく深い」のだと思う。それが、喜久雄の魅力の根源だと感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第405回2018/2/21

 喜久雄が、実力と人気の備わった歌舞伎役者となったことが感じられる。
 武士への声のかけ方が、粋だ。粋であって、後進の歌舞伎役者のことを育てようという狙いをきちんと持っている。
 俊介に対する応え方も、俊介だけでなく、一豊と春江のことも、興行面にも目配りが効いている。
 喜久雄自身の精進と、周囲の支えと、何よりも喜久雄の運命が、彼をここまで育て上げたのだ。今の喜久雄には、思い入れの深い「三代目半二郎」よりもより由緒のある名跡がふさわしいのかもしれない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第404回2018/2/20

 この小説の山場が近づいてきたように思う。

 喜久雄が万菊の魔力を断ち切るように、隣の俊介に目を向けますと、やはり何かに憑かれたように舞台を凝視しております。
「こんなもん、ただの化け物やで」
 何かから逃れるように、笑い飛ばした喜久雄の言葉に、このとき俊介は次のように応えます。
「たしかに化け物や。そやけど、美しい化け物やで」と。
 実はこの日、二人が目の当たりにした小野川万菊の姿が、のちの二人の人生を大きく狂わせていくことになるのでございますが、当然このときはまだ二人ともそれを知る由もございません。(95回 第四章 大阪二段目 20)

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第403回2018/2/19


「(略)さすがにもう元通りにはならへんで」

 この事実を受け容れて、しかも捨て鉢にならないことが重要なのだ。この境地にたどり着いている俊介だからこそ、今の彼にできる役が見つかる可能性があると思う。俊介自身も家族も、俊介に残された時間が長くはないことを、感じ取りながら俊介の願いを叶えたいと必死に願っている様子が伝わって来る。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第402回2018/2/18

 共演の役者の芸の未熟さに苛立っていた喜久雄が、後進の役者に目配りができるようになった様子が描かれている。二代目半二郎が、喜久雄に素質を見出したように、喜久雄は自分の子の世代である武士に女形の将来性を感じたようだ。

 俊介は、足を切るしかなかったのだ。両足をなくしてはいるが、俊介がしっかりしていることが感じられる。

 廊下でからりとした笑い声が立ったのはそのときで、(略)

 笑い声の主は俊介だった。諦めねばならないことは、諦めきった俊介の心情が感じられる。

(略)慣れた様子で義足につっかけたスリッパを脱いで楽屋へ上がってまいります。

 辛さに堪えてリハビリに励んでいる様子よりも、義足を受け入れて、日常生活を送っている様子の方が安心させられる。

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