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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2018年02月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第396回2018/2/12

 喜久雄と俊介は、血のつながらない二人ではあるが、これほど深い因縁もないほどの間柄だ。それなのに、今までこの二人は、互いの舞台について批評めいたことを言い合った場面の記憶がない。
 これほど、深く知り合っていると、第三者としての評を言うことは不可能なのだろう。そうでありながら、どんな劇評家や目の肥えた歌舞伎好きよりも、互いの長短所を直感的につかむのだろう。
 俊介が、復活の舞台の感想を喜久雄に求めたのは、世間の評判を信じられない思いからだろう。騒がれれば騒がれるほど不安になる俊介を感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第395回2018/2/11

 現実の世の中では、喜びと悲しみは等分だと思っている。若い頃はそうは思えなかったが、この頃は身のまわりの出来事を、悪い事ばかりではないし、良い事が続くこともないと、とらえるようになってきた。だから、もしも宝くじなど当たろうものなら、それに等しい凶事が起こるはずなので、当たらない方がよいと思う。だからか、当たったことはない。
 喜久雄に、喜びが重なっても、驚くに当たらない。喜久雄は、今までにそれ以上の辛い運命を生きて来たと感じる。だが、これだけ喜びが重なると、この喜びと祝い事も長続きはしないとも感じる。
 俊介に、同時襲名披露の大成功と主演したテレビドラマの大当たりの後、辛いことが待ち受けていたように。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第394回2018/2/10

 以前から感じていた。喜久雄、俊介よりもマツ、幸子の方が、人物像がはっきりと感じられる。
 綾乃の背景もくっきりしている。役者に認知された子で、母は芸者。それなのに、綾乃は、男勝りで元気いっぱいの女の子。父のスキャンダルのネタとしてマスコミに取り上げられ、深く傷つき、非行に走った少女時代。徳次の命がけの行動で救われ、さらに、春江の面倒で見事に立ち直る。
 綾乃が春江の下で立ち直ることができたというのも、春江と綾乃のそれぞれの生い立ちを考えれば、納得できる。
 その綾乃が、出版社で自分の好きなことができる道を捨てて、好きな人、夫のために生きることを選んだ。

(略)そうか、この子はもう自分じゃなく、夫や生れてくる子供のために生きているのだ(略)

 おもしろい。感動する。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第393回2018/2/9

 喜久雄、俊介、徳次は、昭和二十三~二十五年生まれの設定なので、団塊の世代に入るだろう。昭和生まれながら一豊と綾乃は、団塊の世代の子の世代になる。
 綾乃の妊娠を知らされ、彰子に「おじちゃんだ」と言われた時に、喜久雄は、「まだ四十六だぞ」(383回)と答えていた。そうなると、小説の今は、平成八(1996)年前後ということになるだろう。この時に一豊が二十歳とすれば、昭和五十(1975)年生まれであろう。
 今回の喜久雄と一豊のやりとりのように、同じ昭和生まれでも、昭和二十年代生まれと、昭和五十年代生まれの間には、これだけの溝がある。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第392回2018/2/8

 めぐり合わせというものは、あるものだ。
 俊介の父は、同時襲名披露の舞台で倒れた。俊介は、同時襲名披露の舞台は無事に終えたが、その後の公演で、病に襲われた。
 綾乃は、春江の下に預けられて、立ち直り、成長することができた。一豊は、父の危機の時に喜久雄に預けられた。
 ただし、俊介は父のように戻らぬ人とはならないだろうし、そうはならないことを願う。一方、一豊の方は、綾乃のように成長するか、危ぶんでしまう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第391回2018/2/7

 復帰はできない。努力しても、工夫しても、手術前のような舞台は勤められない。

「現実を受け止めてください。半年かかるか、一年かかるか、それでも痛みは必ず消えていきますから」

 俊介は、自分の病状と脚の切断については現実を受け止めた。更に、脚を失った痛みとそれを乗り越えるためのリハビリの辛さという現実を受け止めなければならない。
 歌舞伎役者にとって、俊介にとって、半年、一年は致命的に長いブランクであろう。
 復帰へのわずかな可能性は、前回の復帰は、十年というブランクと薬中毒を乗り越えたという経験があることだ。それに、春江と喜久雄が、それこそわが身を顧みずに力を尽くすに違いないことだ。

 この場にいない源吉や徳次、それに松野のことが気にかかる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第390回2018/2/6

 動揺する春江、現実を十分には捉えられない喜久雄。それに、反して覚悟を決めた俊介。三人三様の心理状態が伝わってくる。
 春江の慌てふためく様子が初めて描かれた。冷静さを失って当然のできごとではあるが、今までの春江からすると、この事態を受け容れたくないという気持ちがどれほど強いものであるかが分かる。
 喜久雄は、全く予期しなかったことであるのと、役者としての俊介の存在が失われるという思いで、冷静さを失っている。

 春江と喜久雄は、俊介の助けになるような言葉を一つもかけることができていない。
 しかし、それは、俊介にとって、ありがたいことだと感じる。俊介は、懸命に冷静に事態を受け容れ、最善の策を探ろうとしている。しかし、本心では泣き叫びたい思いに圧し潰されそうになっているに違いない。その弱音、後悔、繰り言を、春江と喜久雄が言ってくれている。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第389回2018/2/4

 東京へ戻って、考えられる限りの高度な医療設備を備えた病院で、最高の医師の診断を仰いだのであろう。その結果と思われるので、この診断は、揺るがない。

 今までは、どんな逆境にも、春江はたじろぐことなく、俊介を支え続けた。
 今度は、違う。
 これからの俊介と春江に、丹波屋に、どんな物語が待ち構えているのか。
 そして、喜久雄に、俊介にかけるべき言葉、俊介にしてやれることが何かあるのか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第338回2018/2/3

 俊介は、父と同じように健康状態に関して、全く無防備だったことが分かる。この点については、幸子も春江も注意を払っていなかったようだ。これは、喜久雄にも当てはまるかもしれない。
 医師に、重篤な症状を告げられた時の患者の心理が描かれていて、身につまされた。病の原因を、自分以外のものに求めたくなる。他に原因があるのではなく自分の今までの生活や体質に起因する、或いは原因は特定できないと聞くと、落胆よりも怒りが湧いてくる。
 俊介が、ベテランの医者に診てもらおうと、思ったのは、若い医者を信じられないというよりは、下肢の切断以外の治療に望みをかけていると感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第386回2018/2/1

 歌舞伎の舞台に戻ってからの俊介は、万菊の協力があったとはいえ、自身が芸を磨いて、ここまでやってきた。今回のテレビドラマ出演は、自分から狙ったことではないが、今までの精進が実ったと見ていい。  
 忙しすぎるとしても、人気商売にとっては、「いわゆる時代の顔」になることは、願ってないことだ。しかも、その人気が本筋の歌舞伎の興行にも役立っている。
 喜久雄の方は、『阿古屋』で思う存分に、観客を魅了している。
 そして、娘、綾乃からは、「三代目花井半二郎の娘」として嫁にいかせてくれ、と頼まれた。これは、喜久雄にとって、何にも勝る喜びであろう。
 これが、喜久雄と俊介のたどり着いた「絶頂期」なのだ。

 ところで、徳次はどうしているのだろう。綾乃の結婚披露宴には、何を置いても駆け付けたいのではないか。

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