2018年02月

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第391回2018/2/7

 復帰はできない。努力しても、工夫しても、手術前のような舞台は勤められない。

「現実を受け止めてください。半年かかるか、一年かかるか、それでも痛みは必ず消えていきますから」

 俊介は、自分の病状と脚の切断については現実を受け止めた。更に、脚を失った痛みとそれを乗り越えるためのリハビリの辛さという現実を受け止めなければならない。
 歌舞伎役者にとって、俊介にとって、半年、一年は致命的に長いブランクであろう。
 復帰へのわずかな可能性は、前回の復帰は、十年というブランクと薬中毒を乗り越えたという経験があることだ。それに、春江と喜久雄が、それこそわが身を顧みずに力を尽くすに違いないことだ。

 この場にいない源吉や徳次、それに松野のことが気にかかる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第390回2018/2/6

 動揺する春江、現実を十分には捉えられない喜久雄。それに、反して覚悟を決めた俊介。三人三様の心理状態が伝わってくる。
 春江の慌てふためく様子が初めて描かれた。冷静さを失って当然のできごとではあるが、今までの春江からすると、この事態を受け容れたくないという気持ちがどれほど強いものであるかが分かる。
 喜久雄は、全く予期しなかったことであるのと、役者としての俊介の存在が失われるという思いで、冷静さを失っている。

 春江と喜久雄は、俊介の助けになるような言葉を一つもかけることができていない。
 しかし、それは、俊介にとって、ありがたいことだと感じる。俊介は、懸命に冷静に事態を受け容れ、最善の策を探ろうとしている。しかし、本心では泣き叫びたい思いに圧し潰されそうになっているに違いない。その弱音、後悔、繰り言を、春江と喜久雄が言ってくれている。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第389回2018/2/4

 東京へ戻って、考えられる限りの高度な医療設備を備えた病院で、最高の医師の診断を仰いだのであろう。その結果と思われるので、この診断は、揺るがない。

 今までは、どんな逆境にも、春江はたじろぐことなく、俊介を支え続けた。
 今度は、違う。
 これからの俊介と春江に、丹波屋に、どんな物語が待ち構えているのか。
 そして、喜久雄に、俊介にかけるべき言葉、俊介にしてやれることが何かあるのか。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第338回2018/2/3

 俊介は、父と同じように健康状態に関して、全く無防備だったことが分かる。この点については、幸子も春江も注意を払っていなかったようだ。これは、喜久雄にも当てはまるかもしれない。
 医師に、重篤な症状を告げられた時の患者の心理が描かれていて、身につまされた。病の原因を、自分以外のものに求めたくなる。他に原因があるのではなく自分の今までの生活や体質に起因する、或いは原因は特定できないと聞くと、落胆よりも怒りが湧いてくる。
 俊介が、ベテランの医者に診てもらおうと、思ったのは、若い医者を信じられないというよりは、下肢の切断以外の治療に望みをかけていると感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第386回2018/2/1

 歌舞伎の舞台に戻ってからの俊介は、万菊の協力があったとはいえ、自身が芸を磨いて、ここまでやってきた。今回のテレビドラマ出演は、自分から狙ったことではないが、今までの精進が実ったと見ていい。  
 忙しすぎるとしても、人気商売にとっては、「いわゆる時代の顔」になることは、願ってないことだ。しかも、その人気が本筋の歌舞伎の興行にも役立っている。
 喜久雄の方は、『阿古屋』で思う存分に、観客を魅了している。
 そして、娘、綾乃からは、「三代目花井半二郎の娘」として嫁にいかせてくれ、と頼まれた。これは、喜久雄にとって、何にも勝る喜びであろう。
 これが、喜久雄と俊介のたどり着いた「絶頂期」なのだ。

 ところで、徳次はどうしているのだろう。綾乃の結婚披露宴には、何を置いても駆け付けたいのではないか。

↑このページのトップヘ