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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2018年05月

 春江は、自分と母を辛い目に遭わせた育ての父である松野を、憎んだ。薬漬けになった俊介を救い出す際に、松野は春江の助けになった。しかし、そのときの恩を感じながらも、松野を憎む気持ちは決して消えなかった。
 綾乃は、父、喜久雄のスキャンダルのせいで幼いころに深く傷ついた。大人になった綾乃が大相撲の花形力士と華やかな結婚披露宴ができたのは、父の力によるものが大きかった。しかし、自分の家が火災となり、娘が重症の火傷を負ったときには、父に対する憎しみを抑えることができなかった。
 
 この小説の語り手がいう。「五十年ものあいだ、秘されてきたこの真実が、おそらく今の喜久雄を作り上げたのでございましょう。」(479回)「秘されてきたこの真実」とは、父殺しの真犯人が辻村だったということだ。
 喜久雄は、父を殺した相手への憎しみを抱き続けていた。
 『国宝』には、どんなに長い時間が経っても弱まることのない人の憎しみが描かれている。
 憎しみは描かれているが、弱音と嘆きは感じられない。それどころか、憎しみを生きる力に代えていく過程が描かれている。
 春江は、自分の息子の犠牲に松野をしようとしたが、踏みとどまった。綾乃は、父への憎しみを二度爆発させたが、父を深く理解した。
 そして、喜久雄は、辻村の告白を聞き、自分の人生の最も輝かしい場面を思い出した。その場面は、歌舞伎役者となる第一歩であり、最も心を許すことのできる徳次との楽しいときであった。
 憎しみから逃げ出すことなく、憎しみを跳ね返すことは、憎んでいた人を許すことにつながったと感じた。

国宝 あらすじ 第二十章 国宝 第476~500回 

 一豊は、三年に及んだ謹慎期間が明け、心機一転舞台復帰を果たす。また、舞台復帰の直後に、一豊は美緒というモデルと結婚する。
 一豊の舞台復帰も、人気のあったモデルとの結婚も、周囲が期待したほど世間の話題にはならなかった。復帰後の一豊は、人気もそれほどでもなく大きな役もつかない状態だった。
 しかし、一豊の妻となった美緒は、モデルという派手な職業をしていたにもかかわらず、庶民的で飾らぬ性格で、歌舞伎役者の女房として春江の教えに懸命に勤めている。(第十九章 錦鯉)

 依然として一豊にはいい役がつかないが、美緒が妊娠し、丹波屋に跡取りができるという明るいニュースがもたらされた。

 辻村将生の娘を名乗る女性から、喜久雄に電話があった。電話の内容は、長患いをしていた辻村の容態が悪くなり、「喜久雄に会いたい」と漏らすようなったというものであった。
 辻村は、八年に及ぶ刑期を終えて、その後、ほとんどゼロから土建屋を興した。その会社を、十年で一端の企業に育て上げた。そのころ、妻に先立たれ、自身も癌を発症し、その土建会社を譲り、東京に嫁いでいた娘を頼って、武蔵野の病院に入院していた。この三十年近く辻村は、一切喜久雄に連絡を取っていなかった。
 喜久雄は、一豊と共に辻村の入院している病院を訪れる。痩せた辻村が、喜久雄に言う。「おまえの親父を殺したとは、この俺ぞ」。
 五十年にもあいだ、秘されてきたこの真実を知らされた喜久雄の目に映るのは、その昔一緒に踊った徳次の顔であり、血潮に染まりながら、右に左に睨みを利かす父権五郎の姿であった。
 謝ろうとする辻村の手を握り、喜久雄は、「小父さん、もうよかよ。綾乃の言う通り、親父ば殺したんは、この俺かもしれん」と言った。

 喜久雄が、歌舞伎座の楽屋で『阿古屋』支度をしているころ、三つの出来事が起こっていた。
その一 
 三友の社長竹野の所に、重要無形文化財の指定及び保持者の認定に、喜久雄を答申した、という書類が届く。
その二
 『阿古屋』の開幕を待つ歌舞伎座に、綾乃が駆け込んできた。綾乃に気づいた春江がわけを聞くと、綾乃へ徳次からと思われるメモが留められた本日分の二人分のチケットが届いたのだと言う。しかし、綾乃の隣の席は空席のままだった。
その三
 中国の白河集団公司という中国で有数の大会社の社長が、渋滞の中、銀座へ向かっている。この社長は、二十年前中国に渡った日本人で、中国の経済発展の波に乗り、短期間で財を成した人物である。彼が、二十年ぶりに日本に戻ったのは、昔から贔屓にしている役者が日本の宝になる、という情報を得たからであるという。

 歌舞伎座では、『阿古屋』が幕を開け、観客は喜久雄の芸に魅了され、陶酔している。

 『阿古屋』の幕が引かれようとしたその瞬間、喜久雄の動きが本来の動きと違ってくる。
 まるで、雲のうえでも歩くように、喜久雄は舞台を降りる。喜久雄の動きに戸惑っていた観客たちも、気がつくと総立ちになり、通路をまっすぐに外へ向かう喜久雄の背中にこれ以上ない拍手とかけ声をかけていた。

 たとえ、喜久雄が正気を失い、今までのようには舞台に立てないとしても、心配はないと思う。
 喜久雄の社会的な面は、三友社長の竹野と中国の白河公社社長が万事遺漏なく処理するであろう。そして、身の回りのことは彰子、春江、綾乃が包み込むであろう。一豊、市駒、喜重も、喜久雄がどんな状態になっても大切な人として接すると思う。

 ヤクザの子として生まれ、歌舞伎の魅力にのみ込まれ、歌舞伎役者としての上達以外のことをすべて棄ててきた主人公のこれからは、寂しいものにならないと思う。孤独なものにもならないと思う。
 日本一の歌舞伎役者になることだけを追いもとめていた喜久雄だったが、それだけではない何かかが、喜久雄に描かれていると感じるから。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第499回2018/5/28

 綾乃のことを見知っている観客は、少なくないはずだ。その綾乃がなりふり構わず、一人で拍手をした。
 春江は、俊介のライバルをまだ生まれぬ孫に見せた。
 綾乃も春江も、今が、喜久雄の最後の舞台だと直感したのだと思う。

 
 
 劇場の隅で、喜久雄の背中に、私も拍手する。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第498回2018/5/27

 綾乃が、胸をつかれたようにハッとした。

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第十九章 錦鯉 12 462 挿絵

 最も印象に残っている挿絵の一枚だ。リュックを背負う綾乃、そして、外見は子煩悩の父に見える喜久雄だ。その喜久雄が、祈ったことは、次のことだった。

「『歌舞伎を上手うならして下さい』て頼んだわ。『日本一の歌舞伎役者にして下さい』て。『その代わり、他のもんはなんもいりませんから』て」(第十九章 錦鯉 12 462)

 今は、横綱の妻となり、娘の母となった綾乃だが、このときの父、三代目半二郎の言葉を忘れることはできないと思う。たとえ、その父を許していても。


 喜久雄は、このときの悪魔との取引通りになるのではないかと思う。

 本人はまだ知らぬが、人間国宝に認定され、万座の観客を魅了している喜久雄は、何を見、何を感じているのか?
 役者として、完璧な今の自分に満足しているようには感じられないのだが‥‥
 
 
 共演の京之助が、喜久雄の様子について、一豊に次のように尋ねた。

「いや、誰か別人とやってるみたいだったからさ。でもあれだ、いつもそばにいるおまえが気づいてないんなら、まあ、いいのかな……」
(略)
 首を傾げながらも、取り立てて深刻になるわけでもなく、その場はそれで終わったのでありますが、京之助の引っかかりは取れぬまま、この一豊には、誰か別人とやっているみたいだと咄嗟に言ったのですが、もう少し詳しく申しますと、一緒に舞台に立っているのは紛れもない喜久雄なのですが、同じ舞台に立ちながら、自分が見ている風景と、横で喜久雄が見ている風景がまるで違うのがはっきりと伝わってくるのでございます。(第十九章 錦鯉 2 452)


 深夜一時を回った町を、喜久雄は一人だけで、雪景色に魅せられて歩き回っていた。

(略)喜久雄がふいに立ち止まったのはそのときで、恐ろしいほど澄み切ったその瞳で、徐に周囲を見渡しますと、
「きれいや‥‥」
 そう呟き、夜空からの粉雪を抱き止めるように、その腕を空へ伸ばしたのでございます。(第十九章 錦鯉 19 469)



 喜久雄の楽屋を久しぶりに訪れた竹野が、喜久雄の異変に気づいた。竹野が、喜久雄にいつも付いている一豊に、「いつからああなんだ?」と聞く。一豊は、「ときどきああなるんです」と答えた。
 
 その答えに重なるのは、たった今見てきた喜久雄の、まるでガラス玉のような目。
「ありゃ、正気の人間の目じゃねえよ‥‥。なあ、いつから‥‥」
「『藤娘』です‥‥舞台に客が上がってきた‥‥、あのあとからです」(第十九章 錦鯉 24 474)


 さらに、一豊は、言った。

「‥‥戻ってこなくていいんです。今の小父さんは、ずっと歌舞伎の舞台に立っているんです。桜や雪の舞う美しい世界にずっといるんです。それは小父さんの望んでいたことなんです。だから小父さん‥‥、今、幸せなんです」(第十九章 錦鯉 25 475)

 喜久雄の異変は、六年前からのことで、一豊はもちろん、彰子や春江、周囲の役者たちも知っていたことだった。


 今、「阿古屋」を演ずる喜久雄が目にしているのも、舞台上の美しい世界だけなのであろう。

 琴でも三味線でも疑いは晴れず、いよいよ命をかけて胡弓(こきゅう)を奏でる喜久雄の目にも、吉野の桜、龍田の紅葉が燃えるように映っているのでございましょう。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第497回2018/5/26

 舞台上の喜久雄の至高の芸については、第十九章 錦鯉から本章にかけて綿密に描かれている。
 では、役者としての三代目半二郎ではない喜久雄はどうなのであろうか?万菊は、役者ではなくなった時には今までの全ての人間関係を捨てるかのようにして、身軽になれたと感じた。喜久雄もそうなるのであろうか?

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第496回2018/5/25

 命と引き換えに舞台に上る俊介を支え続けた。俊介亡き後は、一豊を支え、幸子の面倒を見、丹波屋を一人で切り盛りしてきた。一豊が交通事故の加害者となってからは、その荷は重さを増した。
 寂しさに浸り、悲しみを吐き出す暇はなかったはずだ。
 そして、今は、恥も外聞も脱ぎ捨てて、テレビのお笑い番組に出ている。これも、一豊に世間の注目を集めるためであろう。
 その春江が、涙を流す。それもこれも、喜久雄の芸ゆえと感じる。

 いくら呼んでも、いくら待っても、戻ってはくれないという歌詞に、自分が誰を思い重ねていたのか考えようとして、思わず慌て、それでも「いや、大丈夫」と春江が浮かべましたその顔は、(略)

 ここに春江の心の奥底を感じる。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第495回2018/5/24

 徳次に、優れた才能はなかった。徳次は、大部屋役者もこなすし、源さんのような付き人もやれた。だが、喜久雄のような芸事の才能も、弁天のような芸人としての才能もなかった。
 中国に渡った徳次が成功したのも、先見の明と商売の才能があったからではなさそうだ。運が味方し、時代の波に乗れた結果であった。
 徳次には、人生をかけてやり遂げようとするものがない。喜久雄や俊介のように本物の役者になるという信念や、春江のように世間を見返してやるという根性もない。食うことと遊ぶことと金儲けが好きなだけだと感じる。
 徳次には、自分がない、自我だとかアイデンティティーなど無縁だろう。

 徳次は、己を犠牲にして他人に尽くすことができる。だが、何か深い考えがあってそうしているのではない。ただ、自分が好きな人のためなら、どんな辛いことでもできるというだけなのだろう。そして、それは、特別な場合だけでなく、暮らしの中で、自然に周囲の人々にわかるようなものなのだろう。

 徳次のように生きる人は、今や皆無だ。徳次と逆の生き方は、私も含めて今の日本にはいくらでもいる。つまり、安定を求め、損得を考え、将来に備え、なによりも自己を大切にするような生き方だ。

 徳次に憧れる。空想だけでも、徳次のようになりたい。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第494回2018/5/23

 「お嬢へ天狗より」(489回)のときから、徳次にあえると思った。

 期待が裏切られるかもしれない恐さに、徳次が帰って来たに違いないと言い出せなかった。
 
 もう、大丈夫だ。
 徳次が帰ってきた。
 しかも、帰ってきたわけも、まだ歌舞伎座に到着していないわけも、すっきりとわかった。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第493回2018/5/22

 喜久雄の初舞台を描いた場面は、印象に残っている。

 初舞台のお役がついたと申しましても、栄御前について出る腰元の一人、御前のお供で手持ち灯籠を持って花道から舞台へ出ますと、当然台詞もなく、十五分ほど下手に座り、そのまま舞台をはけていくという役所でございます。
 ただ鳥屋から花道へ出た瞬間のなんとも言えぬ雰囲気だけははっきりと覚えておりまして、まさに雲の上を歩くが如く、何か無理にでもそこに言葉を当てはめるならば、幸福とでもいうのでありましょうか。
 しかし、そのあとの記憶が一切ございません。
(略)決められた通りに舞台をはけ、決められた通りの廊下を渡って大部屋の楽屋へ戻り、鏡台に向かったところで、やっと我に返ったようなものでございました。
 するとそこで、さっきまで自分がいた舞台の床の感触や、はっきりと一人一人が見えていた見物の顔、そして何よりも舞台に漂っていた香の甘い香りが蘇りまして、喜久雄は思わずそばにあったつい立の裏へ身を隠そうとしたのでございます。と言いますのも、まるで夢のなかで精を放ってしまったような、人目を憚るほどの恍惚感がそのときになってとつぜん襲ってきたのでございます。(第五章 スタア誕生 3 103回)

 舞台の魔力に魅せられた人は、プロ、アマを問わず少なくないと思う。しかし、これほどの強く深い感覚は、喜久雄ならではものだと感じさせられた。
 そして、この感覚を描写する文章は、うまい。
 喜久雄が舞台上で、今、繰り広げている芸の極致の描き方(493回)は、さらにうまい。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第492回2018/5/21 

 矢口建設の若社長夫妻は、歌舞伎を深く理解し、歌舞伎役者を支える本物のご贔屓筋として描かれていた。(352回感想)その夫妻が、紹介したい人と言うからには相当の人物であろう。

 竹野は、舞台の歓声とどよめきを聞いたが、まだ会場に入っていない。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第491回2018/5/20

 喜久雄の役者としての出発点は、大阪で俊介と一緒に稽古に励んでいたときだと思ってきた。
 歌舞伎役者の芸として、至高の域に達した阿古屋の舞台を読むと、さらにその先だと思わされる。
 それは、喜久雄が立花組の新年会で『積恋雪関扉』を披露したときなのであろう。そのときこそ、父が撃たれたときであり、そのときから徳次が喜久雄の傍にい続けた。
 父権五郎の死、ここから現在の究極の芸域までの道がはじまっていたように感じる。そして、綾乃はそのことを言い当てていた。

「嫌や!来んといて!これ以上、近寄らんといて!なんで?なあ、なんでなん?なんで、うちらばっかり酷い目に遭わなならへんの?なんでお父ちゃんばっかりエエ目みんの?お父ちゃんがエエ目みるたんびに、うちら不幸になるやんか?
 誰か不幸になるやんか!もう嫌や!もうこれ以上は嫌や!なあ、お父ちゃん、お願いや。うちから喜重を取らんといて!なあ、もうええやんか‥‥」(461回)


 こう叫んだ綾乃と、長崎の料亭の舞台で共に踊った徳次が、今、歌舞伎座に招かれている。

朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第490回2018/5/19

 喜久雄の故郷、長崎へと思いが導かれる。
 マツも権五郎も、そして、喜久雄も徳次も歌舞伎が好きだった。
 権五郎とマツは、貧しく生きるのに精いっぱいの日々を送っていたことが想像できる。厳しく苦しい暮らしから逃れる唯一の楽しみが歌舞伎だったのであろう。
 その歌舞伎の魅力に飲み込まれたのが、喜久雄であり、俊介であると思う。
 歌舞伎座が代を重ねて継承され、歌舞伎役者も代を重ねて継承される。二代目半二郎、四代目白虎から五代目白虎、三代目半二郎へと。そして、これからは、二代目半弥とさらにその子へと。

 徳次が戻って来ている兆候はない。徳次を恋しがっている喜久雄の兆候はある。
 綾乃と徳次が、その席にいるなら、舞台の上の喜久雄からは、はっきりと綾乃と徳次が見えるはずだ。
 
 阿古屋を演じる喜久雄本人も、それを観るであろう綾乃も、どこにいるかわからないままの徳次も、喜久雄の人間国宝認定をまだ知らないはずだ。

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