2018年07月

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第回2018/7/30 朝日新聞

 姉が話したいこととは、別れて会うことのなかった父についてのことだろう。
 姉が緊張している様子から、家を出て行った父が、その後安定した生活を送っていたとは想像しづらい。不安定な生活をしていたとするなら、経済的な面でも人間関係の面でも誰かに頼らなければならない老人の立場になっていることが予想できる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第57回2018/7/29 朝日新聞

 現役を引退した七十歳の子が、介護の必要な九十歳の親の面倒を見る。これは、過去の社会では稀なことだった。
 退職をした六十歳の親が、職に就いている四十歳の子に援助をする。これも、今までの日本の社会では珍しいことだった。
 今はその両方がよくあることになった。それどころか、この両方が同時にあてはまる場合もよくある例だと思う。
 これは、奇怪なことだと感じる。しかし、どうすることもできないとも感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第56回2018/7/28 朝日新聞

 この小説のストーリー展開は、平坦な感じだ。淡々と話が進んでいるが、各章の話題は広がっている。
①別れた父への洋一郎の思い出。
②洋一郎と大学同期の佐山、紺野の事情。
③一人息子を亡くして七年経った佐山夫妻の事情。
④洋一郎の娘の出産が間近なこと。
⑤別れたままの父と洋一郎が再会すること。
 上のような題材が、序章から第二章で出てきている。これらの題材は、バラバラのようで相互に関連づいてくるのであろう。
 「第三章 父、帰る」では、①と⑤の題材が発展しそうだ。
 
 
 五十代後半の男性のあいまいな立場が描かれていると感じる。
 職場ではすでに第一線から外されている。家庭では、まだ現役で働いているので疎外されているわけではない。でも、父としても夫としても、祖父としても、重みのある存在とはなっていない。
 定年退職はまだなのに、もうなんとなく厄介者扱いのようだ。洋一郎本人もそれに気づいているのであろう。
 洋一郎のこの感覚がよくわかるだけに、読者としてもなんとなくさびしい気持ちになる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第55回2018/7/27 朝日新聞

 私と大学同期の友人の中で、最近最も生き生きとしているのは、孫の世話をしなければならないという人だ。その人は、自分の子どもの子育ては奥さん任せであったが、いろいろな事情から孫を育てる手伝いをしなければならなくなったという。そして、孫の世話をする大変さを話して尽きることがなかった。大変だと言いながら、声も表情も明るかった。
 男性でもそうなのだから、夏子のように育児の経験の豊富な女性は、なおさらだろう。
 老後は悠々自適などというが、家族に頼りにされ、忙しくしている人の充実感には及ばないと感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第54回2018/7/26 朝日新聞

 どんな思い出も、時間と共に薄れていく。
 心の底からの悲しい思いは、時間が経っても薄れることはない。
 このどちらも真実だと感じる。

 万葉集の柿本人麻呂の歌にある。
万葉集 巻2 211万葉集のかたわらにキーボード
去年見てし 秋の月夜は 照らせれど 相見し妹は いや年離る

今夜は月が美しい。
去年の秋の夜は妻といっしょに月を眺めていた。
月は変わりなく夜空を照らしている。それなのに、いっしょに見た妻はこの世にいない。
時が経てば経つほど、妻と共に過ごした日々が遠いものになっていく。

万葉集 巻一 49 柿本人麻呂万葉集のかたわらにキーボード
日並の 皇子の尊の 馬並めて み狩立たしし 時は来むかふ

昔、この場所で、軽皇子の父上であられた日並(草壁)の皇子が、狩りを催されました。
まさに今、あの時と同じ季節を迎えます。
今は亡き日並の皇子が馬を並べて、狩りへと出発された様子が目に浮かぶようです。
さあ、今こそ軽皇子も父上と同じように、馬をお進めください。


 万葉集の歌には、亡き人の思い出が薄れていくことと、何年経っても、亡き人の在りし日のことがまざまざと浮かんでくることの双方が繰り返し、表現されていると感じる。その意味では、古代も現代も同じだと思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第53回2018/7/26 朝日新聞

 我が国で、アメリカのような発想で、老人だけのコミニュテイを作る計画が出て来ないのは不思議だ。国による伝統や文化の違いだと言えば、その通りだろう。それだけではないような気もしてくる。現に佐山は、「サンシティ」のような都市を羨ましがっている。
 ひょっとしたら、世界一の高齢化国家であるとされる日本の高齢化対策の遅れている部分なのかもしれない。日本は、過去の村社会と家長制度の下で、老人処遇がうまくいっている面があったので、それをまだ引きずっていると感じる。

 平日の昼のデパートとその近辺、売り出し日の開店早々のスーパーマーケット、そして、高齢者を引き受ける医療機関の待合室と入院病室、客と患者は、すでに老人だけだ。今の日本のそこは、老人だけの街の一部のようだ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第52回2018/7/24 朝日新聞

 納得した。
 「失独家庭」という言葉を初めて聞いた。
 
 私たち夫婦は、「失独家庭」ではない。
 けれど、私たち夫婦は、老後を自分の子どもと一緒に住もうとは思わないし、自分たちの葬儀は簡素にしてもらうと決めている。また、自分たちが受け継いできた墓を子どもたちが受け継ぐべきだとは思っていない。実際に、私たちは、死んだ親の家の仏壇を、我が家には置けないので小さなものにした。
 だが、老後のことや、死後のことは、子どもたちの世話になるだろうと思っている。だいたい、老人ホームに入るにしても、身元保証人というか、入居予定者の家族がいなくては入居もおぼつかないはずだ。そして、老人の身元を保証する人は、その人の子が優先される。

 五十代にして、老人ホームに入ろうという佐山の考えに納得した。入居の時期が早まった理由についても。仁美さんの気持ちが伝わってくる。それを聞いた佐山の気持ちも。

 「若い奴のいないところに行きたいって、カミさんが言うんだよ‥‥」

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第51回2018/7/23 朝日新聞

 深い無念と、やりきれない思いが──。

 仁美さんが、心の底で芳雄くんの級友たちを恨んでいたのか、と思っていた。でも、そうではなかった。佐山夫婦は、息子の死を受け容れようと努力していたことがわかる。それが、「よしお基金」に結びついたのだった。
 芳雄くんの死を受け容れても、芳雄くんを救う行動をとれなかったその時の級友たちをゆるしていても、忘れることはできない思いがあったのだ。

 佐山の心情を突き付けられた思いだ。だが、それが五十代にして老人ホームに入りたいということに直接結びつくのだろうか?

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第50回2018/7/22 朝日新聞

 見殺しにされたんだよ、芳雄は──。

 これは、仁美さんだけでなく、佐山本人の思いなのであろう。佐山夫婦の思いは、共感できるし、考えれば考えるほどこのような考え方になると思う。
 しかし、この気持ちを持ち続けたままでは、「よしお基金」の活動を続けても、夫妻の心の傷は癒されない。
 死者を取り戻そうとすることが、周りにいた人たちへの憎しみに変わる。
 死者を取り戻すことを、どこかであきらめねばならないのに。

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