2018年09月

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第108回2018/9/20 朝日新聞

 洋一郎の父の今までを振り返ってみた。※各回の断片的な記述から年齢を類推した。
①母(智子)と離婚 1970年 父(石井信也)35歳
②母が長谷川隆と再婚 1975年 父40歳
③父が和泉台ハイツ入居 2008年 父73歳
④父が公園で倒れ、病院に運ばれるが意識を取り戻すことなく死亡 2018年 父83歳
 石井信也が家族を捨てたのが三十五歳のときで、和泉台ハイツに入ったのが七十三歳であろう。洋一郎が父の遺品からたどっているのは、父が七十三歳以降の十年間のことだ。
 石井信也が、母と離婚して和泉台ハイツに入るまでの三十八年間はまだまったくの謎だ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第107回2018/9/19 朝日新聞

 洋一郎のことを凡庸な人物を感じていた105回感想が、違っていた。のこされたレシートからこういうとらえかたをする男はいない。しかも家族を捨てて出て行った亡き父の行動を、このように再現しようとするとは、驚きだ。
 また、死んだ父の朝食のメニューにも驚かされる。これは、今の働き盛りの単身者のありがちな食事よりも、よほど味と栄養に工夫している。
 亡き父(石井信也)そして、その息子(長谷川洋一郎)に暮らしを楽しみ、暮らしを大切にする心情を感じる。ただし、亡き父は、高齢になってからのことしかわからないのだが。

新聞連載小説『ひこばえ』重松 清・作 川上和生・画 朝日新聞 第四章 和泉台ハイツ205号室 あらすじ

 洋一郎は、話す言葉を慎重に吟味して、父が死ぬまで暮らしていたアパート(和泉台ハイツ205号室)の大家(川端久子)さんに電話をした。電話で連絡のついたその日に川端さんと会い、父の部屋を見せてもらうことになった。
 待ち合わせ場所に現れた川端さんは、洋一郎を父の遺骨を預かってもらっているお寺に案内した。お寺の住職さんから遺骨についての説明を聞き、川端さんからは、父の遺骨を手元に置いてあげてはどうか、と勧められた。洋一郎は、父の遺骨をどうするか、はっきりとした返事ができなかった。
 お寺から父が借りていた部屋へ向かう途中、川端さんは、父が二、三年前までは工事現場で働いていたこと、家賃は遅れたことがなかったことを話してくれた。
 父の部屋には、『男はつらいよ』のDVD、池波正太郎の本などがのこされていた。その中に『原爆句集 松尾あつゆき』があり、それを見つけた洋一郎は、亡き父がどんな気持ちでこの句集を読んだのか、図りかねて唖然として呆然となった。
 部屋の中は、一人住まいの高齢の男性にしては、こぎれいでよく整頓されていた。
 川端さんは、この部屋に通ってきてゆっくり部屋の片づけをすることを洋一郎に勧めた。洋一郎も川端さんの言うとおり、時間をかけて父の遺品を整理してみたいと思った。
 川端さんは、別れ際に、父が使っていた携帯電話を洋一郎に渡した。その携帯電話のアドレス帳には三十人ほどが登録されていた。その末尾近くに、母<吉田智子>と姉<吉田宏子>と私<吉田洋一郎>の名前が電話番号なしで登録されていた。それを、見た洋一郎は、「嘘だろ‥‥」と声を漏らした。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第106回2018/9/18 朝日新聞

 洋一郎は、死んだ父の部屋を見てきたことを、妻にまだ言わない。姉にも、父の遺骨のことや部屋のことを話してもいないようだ。不思議だ。
 死んだ父のことを知りたいと洋一郎は思い始めている。父のことを知るためには、離婚前とはいえ、最大の情報源は母のはずだ。父の死を、母には一言も話していないし、話そうという気もない。これも不思議だ。
 不思議だが、洋一郎の立場になれば、私も洋一郎と同じようにするだろう。
 妻には、実の父との事情は既に話した。そして、それ以外では、父のことを話題にしたこともない。死んだ父の部屋がきちんとしていたことを、娘の出産のことで忙しい妻に話してもしかたのないことだ。
 姉に、大家さんとの会話や遺骨や部屋のことを詳しく報告しても、姉はそんなことに全く興味を持たないだろう。姉は、遺骨は合祀、遺品は処分と言うに違いない。
 母に改めて、別れた父のことを訊ねるのは、辛かった過去を思い出させることになる。高齢で、再婚相手の連れ子のもとで暮らしている母によけいな心配はさせたくない。


 川端久子さんの話と、父の部屋の様子から、晩年の父、別れてからの父のことがよけい謎に包まれてしまった。父のガラケーへの着信が、それを解くカギになるのだろうか?

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第105回2018/9/17 朝日新聞

 前回の感想で、洋一郎という人物のイメージが浮かんでこないと書いた。
 洋一郎は、大学時代の友人二人に好かれ信頼されて、今でも交流がある。だが、その友人の一人である佐山に心の内を打ち明けられても共感はしていたが、激しく感情を揺さぶられるようなことはなかった。
 自分の家族とも円満に中庸に接している。妻夏子との距離も付かず離れずの五十代夫婦の関係だ。仕事には真面目に取り組んでいるが、与えられた職場でベストを尽くすという様子だ。
 要するに、穏やかな人柄でバランスの取れた人間関係を保っている人物だ。今回の挿絵で主人公の表情が描かれているが、まさに挿絵の通り特徴がなく、すぐに忘れてしまいそうな顔だ。
 
 感情の起伏の少なかったその洋一郎が動揺している!

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第104回2018/9/16 朝日新聞
 
 主人公洋一郎の人物像が今まではどうにもイメージできなかった。今回の「なんだか、ひどく疲れてしまった。」という部分から洋一郎の人柄が伝わってくるように感じる。
 
 川端さんは、深みのある人物だと思う。初対面の洋一郎に向かって、川端さんは、まるで次のように諭しているかのようだ。
 「子どもの時以来会うことのなかったお父さんのことを、じっくりと考えてごらんなさい。そして、亡くなったお父さんの気持ちを思いやってみることが、あなたがこれから生きていく上で大切なことですよ。」
 川端さんの「部屋を見てほしい」という依頼は、見てすぐわかるような何かがのこされていたのでなくて、亡くなった老人(石井信也)の息子に、その部屋の片づけを時間をかけてじっくりとさせることだったのだろう。
 こういう発想をする川端さんにますます驚く。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第103回2018/9/15 朝日新聞

 がらんとした和室の中にあるがらんとした押し入れは、私にとっての父──顔すら思い浮かべられない父の胸のうちそのものだった。

 洋一郎の行動と気持ちには相反するものがある。
①父と過ごした思い出がわずかだ。
②父が家を出て行ってから父のことを気にしたことがほとんどない。
③父と離れ離れになっていた四十年間に父の消息を知ろうとしたことがない。
④父が死んだと聞いても悲しみも感慨もわかない。
⑤父の遺骨を引き取る気になれない。

⑥こいのぼりを飾ってくれたこと、いっしょにタバコ屋に行ったこと、このことは細部まで覚えている。
⑦姉が父のことを悪く言うときに同調しない。
⑧父が死ぬ前に暮らした部屋を非常に細かく見ている。

 ①~⑤は、実の父に無関心であり、父を拒否する行動と心情だと思う。一方、⑥~⑧は、父のことを知りたい、父の実像に迫りたいという行動と心情なのではないか。そして、上に引用した表現には、「父の胸のうち」を知りたいという洋一郎の気持ちが表れていると感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第102回2018/9/14 朝日新聞

 洋一郎の実の父がどうゆう人であったかは、描かれたようでいて詳しくは書かれていない。洋一郎の姉がたびたび父のことを悪く言っているが、どんな最低なことを家族にしたのかは具体的には出てきていない。
 洋一郎が、父が死ぬまでの十年間を過ごしたアパートの部屋を見る限りは、ギャンブルをやっていた様子はないし、部屋代を滞納したこともない。父は、ギャンブルは止め、さらに、金にだらしがないという性癖も変えたと見るしかない。
 松尾あつゆきの句集については、図書館の本ということであれば、最近読み始めたのか。このような句集を読み始めた時期はわからなくても、死ぬ間際の父が、原爆句集に共感する心境になっていたのは確かなのだと思う。
 洋一郎が、図書館に本を返却にいけば、父の最近の読書傾向がわかるかもしれない。

 親が死に、子の手元には遺骨や遺品が残る。丁寧に遺骨を墓に収め、遺品を整理しても、親から伝わるもの、気質や体質はなくなることなく、色濃く子に遺伝する。それは、子が親を拒否して、親の遺骨さえ引き取らなくても、同じだ。
 洋一郎にも姉宏子にも父の気質や体質は受け継がれているのだと思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第101回2018/9/13 朝日新聞

 これは珍しいことだと思う。独り暮らしの男性が几帳面に日常の家事をこなしている。
 洋一郎の父は、こういう生活の態度をどこで身に付けたのだろうか。
 父の暮らしぶりよりももっと珍しいことがある。それは、川端(大家)さんだ。アパートの大家というだけなのに、死んだ借家人の火葬や遺骨の面倒をみるだけでも良心的で珍しい人だ。さらに、死んだ人の部屋を遺族に見せるために、冷蔵庫の中を整理したり洗濯までしている。こんな例は、現実の社会では聞いたことがない。

 ギャンブル好きでお金にだらしなく、職を転々として、身内にさんざん迷惑をかけてきた挙句、遺骨すら引き取ってもらえなかったひとが、こんなふうに最晩年を送っていたというのが、どうにもピンとこない。

 主人公のこの思いは、読者の思いでもある。
 死んだ父の枕元の句集が、その謎をとくのであろうか?

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第100回2018/9/12 朝日新聞

 洋一郎の父は、七十歳を過ぎても働いていた。年金(99回)もあるようだが、今の稼ぎが生活の主なものだったろう。休日には、好きな映画をDVDで楽しみ、近所を散歩し、電車で外出もしていたようだ。持っていた本やCDからは若い頃から好みが変わっていないことも想像できる。ということは、洋一郎の思い出の中の父は、ビートルズを聴くような人だったことになる。
 和泉台ハイツ205号室からは、平凡で、つましく、貧しいながら静かに暮らしていた老人の暮らししか見えてこない。若い頃に妻に愛想をつかされ、親類からも嫌われ、孤独に過ごした老人の荒んだ様子は見えてこない。


 洋一郎が、心の底で何を期待しているかが、窺える。

 川端(大家)さんは、死んだ洋一郎の父がこういう暮らしをしていたことだけを見せたかったのであろうか?

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