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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2018年10月

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第148回2018/10/31 朝日新聞

 ハーヴェスト多摩は、最晩年の理想の住まいだと感じる。私には、手の届かない金額が必要だ。それなのに、今回の様子を読むと、羨ましい気持ちになれない。
 どんな住居にいようが、おじいちゃん・おばあちゃんと孫の関係はこうなるだろうと思う。要するに、一緒に暮らしていない同士が、たまに会うと互いに疲れてしまうのだ。孫と祖父母がそうだということは、親子もそうなのだ。
 たまに会うと、親子が互いに疲れるということは、なんだか味気ない社会だ。これでは、洋一郎と二人の子どもとの将来の関係と、洋一郎と実の父の関係と、どちらが幸福なのか、わからなくなる。
 この両方を比べるのは、極端ではあるが。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第147回2018/10/30 朝日新聞

 幼い洋一郎と姉がカロリーヌの物語を読んでいる。
 洋一郎は、そこに母とそして父もいたことをかろうじて思い出した。洋一郎と違って、姉の宏子にはこの場面の思い出は鮮明なのではないか?次の二か所の表現が思い出される。

第140回感想

 姉は昔、よく私に言っていた。
 「洋ちゃんはずるいよ」
 なにが──?
 「あのひとのこと、消したよね。すごいと思う、皮肉抜きでうらやましい」(第7回)

 
 姉は、父にまつわる記憶をすべて「嫌なことと」として塗り固めている。(第145回)

 
ギャンブルにのめり込み家族や親戚に金の迷惑をかける父と、家にいる時は穏やかで子煩悩な父がいた、と感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第146回2018/10/29 朝日新聞

 これからの時代では、墓の維持や仏壇を持つことは無理だと思っている。それなのに、夏子のような言われ方をすると、それでいいのかと思ってしまう。
 洋一郎の姉と妻の考え方は似ている。現代の事情に合致しているし、現実的だ。古いものとなった人情を切り捨てている。

 過去の慣習や倫理観、親子の情や人情にとらわれるべきではないと思うのだが、どこかにそれだけでいいのか、という気持ちが湧いてくる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第145回2018/10/28 朝日新聞

 姉は、あまりにも頑なだ。この一方的な攻撃にはなにか隠されていると思う。
 
 憎しみと嫌悪も、死者に対しては和らぐものなのではないか。死を受け容れるとは、そういう面もあると思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第144回2018/10/27 朝日新聞

 姉の言っていることは、もっともだ。だが、共感ができない。
 今まで、母についてのことを洋一郎は語っていない。母については、姉がもっぱら代弁している。理屈でいくと、母についてのことは姉の意見が妥当だ。だが、人の心情は理屈ではないし、時間の経過で変わる部分もある。
 姉はあまりにも頑なだと感じる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第143回2018/10/26 朝日新聞

 田辺麻美さんと姉の宏子は、似通った年代だと思う。それなのに、洋一郎の父についての印象がまるで違う。この二人は、洋一郎の父との関係が違うし、接していた間の父の年齢も違う。だが、その違いを考えてもこんなにも印象が異なるには何か訳があると思える。
 
 父が、自分の家族との別れに強い思いをもっていたことが予測できる。父は、少なくと年を取ってからは、別れた家族に無関心ではなかった。
 洋一郎と姉の宏子の方が、無関心であったと思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第142回2018/10/25 朝日新聞

 姉(宏子)は、次のような割り切った考え方が感じられる。
①父親であっても、だめな生き方をする人なら冷たく批判したし、父の死へなんの感傷もない。
②自分の子には、結婚という形式にとらわれなくてもいいと言う。
③自分の孫に対しては、『見守る』距離感をキープしなければならないと言う。
 一方では、次のような感情的な面も感じられる。
④母親に、自分を犠牲にしてでも寄り添い、協力した。
⑤母親を、義理の父の家の墓には入れたくないと言う。
⑥弟に、夫・父・祖父の立場があると言う。
 旧来の親子関係や家族観にとらわれない考え方と、自分を中心とした家族を大切にするという考え方が混在している。そして、こういう考え方をする人は、今の時代の多数派とも言える。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第14回2018/10/24 朝日新聞

 疑問に思っていたことが明らかになって来た。
①洋一郎が母に、実の父、別れた父が死んだことを伝えないのはなぜか。
②洋一郎が母に、孫(母にとってはひ孫)が生まれたことをすぐに言わないのはなぜか。
 この二つの疑問に、姉の意見が絡んでいた。姉は、姉なりに母のこと、そして洋一郎のことを思いやっている。それだけに、こういう姉弟の間柄は、複雑なものだ。

 母が別れた夫のことを心の底ではどう思っていたのか。
 ギャンブルさえしなければ、よい夫であり、よい父であると思っていたのか、それとも、心底から夫のことを嫌いになったのか。
 姉は、父のことをどう思っていたのか。
 物心つくまで姉は、父のことを好きだったのか、それとも、父についてのよい思いではただの一つもないのか。
 今度は、こういうことが疑問になる。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第140回2018/10/23 朝日新聞

 姉には、洋一郎に話したことのない父についての記憶があると思う。

 姉は昔、よく私に言っていた。
 「洋ちゃんはずるいよ」
 なにが──?
 「あのひとのこと、消したよね。すごいと思う、皮肉抜きでうらやましい」(第7回)

 
姉は、亡き父が最晩年にカロリーヌの本を読んでいた、と聞いて、父についての感じ方を変えるどころか、ますます嫌悪感を強めている。

 家族が円満かどうかは、家族それぞれのつながりにかかっている。親を大切にする気持ちは、親と子の間で育まれる。家族間の問題を解決できるのは、その当事者にしかできない。
 深く考えたわけではないが、上のような考え方をしてきた。でも、この小説を読んでいると、そうだろうか、と思えてきた。

 親から子へ、子から孫へ、家族のつながりが保たれるためには、その一家族を取り巻く人々とのつながりが決め手になることもあるのではないか、と思う。
 道徳の観点から、親を祖父母を敬う気持ちを大切にしよう、と教えられても、それは定着しない。世間が、親を祖父母を敬う気持ちと行動を受けいれ、その気持ちと行動を応援するしくみと雰囲気があることが、大切だと思う。

 洋一郎は、父を慕う気持ちを持ち続けながら、自身でも気づいていないと思う。そんな洋一郎の心の底へ、手を伸ばしてくれたのは、今まで縁もゆかりもなかった人たち、大家さんと和尚さんと小さな図書館のスタッフさんだったのではないか。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第139回2018/10/22 朝日新聞

 洋一郎の「ひどい父親だったんですよ」を聞いても、麻美、陽菜母子は、全然めげない。カロリーヌおじいさんの人柄についてよっぽど自信があるのだろう。

 人の善意と悪意のどちらを信じるか?私は他人であれば、悪意への警戒がまず先立つ。この麻美、陽菜母子は違う。洋一郎が精一杯の強い語調で言った言葉など意に介していない。
 大家の川端さん、道明和尚、田辺麻美、陽菜母子に導かれて、主人公が、やっと実の父の姿を思い出してくる。
 
 私は確かに、遠い昔、このひとを見ていた。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第138回2018/10/21 朝日新聞

 洋一郎の父への思いは、複雑だ。

「ひどい父親だったんですよ」

 これは、姉の気持ちと重なる。また、この感じ方は父について周囲から聞かされていたことでもある。

 私自身の記憶にはない。けれど、そこまで言わなくてはいけないんだ、と自分を奮い立たせて続けた。

 この表現が、洋一郎の立場をよく表している。父を非難する材料の記憶は、自分にはない。しかし、父は悪く言われて当然のことをした。こういうことなのだろう。

 そして、最晩年の父が自分たち姉弟をどう思っていたか、の材料がはじめて出て来た。少なくとも、父は、幼かった姉弟を思い出すのが辛かったのだ。

 この小説は、連載の一回一回を読むのと、区切らずに続けて読むのとでは大いに印象が違う。例えば、「ハーヴェスト多摩」のスタッフの動きや言葉は、連続して読むと緊密に関係づいていて、主人公の心理に陰影を与えている。それが、一回一回だとなんだか断片的な描写にしか感じられない。(私にとっては)
 『ひこばえ』は、ストーリー上のエンターテインメント性はほとんどない。だから、連載の一回一回では、主人公は、穏やかでどこか煮え切らない言動を連ねていくと感じてしまう。大家さんの川端さんと照雲寺の道明和尚は、唐突な行動を取るように印象づけられる。
 だが、連載を章毎にまとめて読むと、出来事や事件ではなく、登場人物の何気ない言葉や行動が積み重なって、物語が進んでいくという姿があらわれてくる。
 私にとって、『ひこばえ』は、次回を楽しみにするというよりは読み返して味わいが出て来る小説だ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第137回2018/10/20 朝日新聞

 洋一郎の父は、晩年になって、すっかり人格が変わってしまったのであろうか。私には、そうは思えない。
 年を取って、若い頃の自分を悔い改めたのであれば、遺品の中に置き去り同然にした家族への償いの思いを示すものが何かあるはずだ。しかし、今のところは携帯電話の電話帳への登録とカレンダーへの誕生日の書き込みしかのこされていない。
 まるで、別人のようにいい人になったというのでなければ、元々父は童話が好きで、子どもが好きだったということになる。
 金にだらしがなくて、家族にも親類にも迷惑かけるような人柄と、童話好きで子ども好きという人柄は矛盾しない。父が、若い頃から優しい面をもった人であったのなら、父に対する母と姉の見方が偏っていたということになる。
 父の実像は、どうなのであろうか?どう展開するか、楽しみだ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第136回2018/10/19 朝日新聞

 本好きで子ども好きという人は、いる。でも、資金も人手もない所で小さいものであっても図書館を運営する時間と煩わしさを嫌がらないでやる人は、滅多にいない。和泉台文庫のような図書館がうまくいくかどうかは、そこに常駐する人次第だと思う。
 その意味からも田辺麻美さんは、人間が好きで、人との関係づくりを何よりも大切する人だと感じた。そして、こういう人は、世話好きで他人のことでも親身になれる人で、これが過ぎると干渉がましくて付き合うのがやっかいな人とも言える。

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