2018年10月

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第139回2018/10/22 朝日新聞

 洋一郎の「ひどい父親だったんですよ」を聞いても、麻美、陽菜母子は、全然めげない。カロリーヌおじいさんの人柄についてよっぽど自信があるのだろう。

 人の善意と悪意のどちらを信じるか?私は他人であれば、悪意への警戒がまず先立つ。この麻美、陽菜母子は違う。洋一郎が精一杯の強い語調で言った言葉など意に介していない。
 大家の川端さん、道明和尚、田辺麻美、陽菜母子に導かれて、主人公が、やっと実の父の姿を思い出してくる。
 
 私は確かに、遠い昔、このひとを見ていた。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第138回2018/10/21 朝日新聞

 洋一郎の父への思いは、複雑だ。

「ひどい父親だったんですよ」

 これは、姉の気持ちと重なる。また、この感じ方は父について周囲から聞かされていたことでもある。

 私自身の記憶にはない。けれど、そこまで言わなくてはいけないんだ、と自分を奮い立たせて続けた。

 この表現が、洋一郎の立場をよく表している。父を非難する材料の記憶は、自分にはない。しかし、父は悪く言われて当然のことをした。こういうことなのだろう。

 そして、最晩年の父が自分たち姉弟をどう思っていたか、の材料がはじめて出て来た。少なくとも、父は、幼かった姉弟を思い出すのが辛かったのだ。

 この小説は、連載の一回一回を読むのと、区切らずに続けて読むのとでは大いに印象が違う。例えば、「ハーヴェスト多摩」のスタッフの動きや言葉は、連続して読むと緊密に関係づいていて、主人公の心理に陰影を与えている。それが、一回一回だとなんだか断片的な描写にしか感じられない。(私にとっては)
 『ひこばえ』は、ストーリー上のエンターテインメント性はほとんどない。だから、連載の一回一回では、主人公は、穏やかでどこか煮え切らない言動を連ねていくと感じてしまう。大家さんの川端さんと照雲寺の道明和尚は、唐突な行動を取るように印象づけられる。
 だが、連載を章毎にまとめて読むと、出来事や事件ではなく、登場人物の何気ない言葉や行動が積み重なって、物語が進んでいくという姿があらわれてくる。
 私にとって、『ひこばえ』は、次回を楽しみにするというよりは読み返して味わいが出て来る小説だ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第137回2018/10/20 朝日新聞

 洋一郎の父は、晩年になって、すっかり人格が変わってしまったのであろうか。私には、そうは思えない。
 年を取って、若い頃の自分を悔い改めたのであれば、遺品の中に置き去り同然にした家族への償いの思いを示すものが何かあるはずだ。しかし、今のところは携帯電話の電話帳への登録とカレンダーへの誕生日の書き込みしかのこされていない。
 まるで、別人のようにいい人になったというのでなければ、元々父は童話が好きで、子どもが好きだったということになる。
 金にだらしがなくて、家族にも親類にも迷惑かけるような人柄と、童話好きで子ども好きという人柄は矛盾しない。父が、若い頃から優しい面をもった人であったのなら、父に対する母と姉の見方が偏っていたということになる。
 父の実像は、どうなのであろうか?どう展開するか、楽しみだ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第136回2018/10/19 朝日新聞

 本好きで子ども好きという人は、いる。でも、資金も人手もない所で小さいものであっても図書館を運営する時間と煩わしさを嫌がらないでやる人は、滅多にいない。和泉台文庫のような図書館がうまくいくかどうかは、そこに常駐する人次第だと思う。
 その意味からも田辺麻美さんは、人間が好きで、人との関係づくりを何よりも大切する人だと感じた。そして、こういう人は、世話好きで他人のことでも親身になれる人で、これが過ぎると干渉がましくて付き合うのがやっかいな人とも言える。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第135回2018/10/18 朝日新聞

 洋一郎の父というよりは、石井信也おじいさんは、心優しい老人というしかない人物だった。ただし、川端久子と田辺麻美に見せた姿としてはだ。
 川端久子と田辺麻美は、共通点がある。他人のことであっても関心を持ち、他人が困っていれば、世話をすることを躊躇しない。私は、川端さんと麻美さんは、優しい、良心的というに止まらず、人間好き、人付き合い好きなのだと思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松 清・作 川上和生・画 朝日新聞 第五章 息子、祖父になる あらすじ 

 洋一郎は、大家さんに勧められるまま父の部屋へ通って、遺品整理を時間をかけてやり続けている。父が食べていた物、父が着ていた服、父が読んでいた本などが分かってくる。のこされた本の中では、『原爆句集』と『尾崎放哉全句集』が洋一郎の目を引く。父は、尾崎放哉の作品を特に熱心に読んでいたことが分かる。
 職場にいても、亡き父のことを考えながらも、初孫の誕生を心待ちにしている洋一郎に、いよいよ孫が生まれそうだという電話が妻から入る。
 洋一郎が出産に立ち会うのは妻と娘から断わられたが、二〇一八年五月五日、美菜は男の子を無事出産した。産院で孫を抱いた洋一郎は、赤ん坊が小さくて、やわらかくて、熱いことに驚き、体は軽いのに、重さを感じる。
 初孫の顔を見て、家に戻る洋一郎が寄ったのは父の遺骨を預けてある照雲寺だった。住職の道明和尚は、洋一郎が再び来るだろうことがわかっていたと言う。洋一郎が初孫の誕生を和尚に告げると、和尚は父の遺骨の前にビールとグラス二つを用意してくれた。洋一郎は、グラスの一つを遺骨の前に置き、自分はもう一つのグラスで飲み始める。ビールを飲みながら、洋一郎は、初孫が生まれたこと、洋一郎の家族のこと、母と姉のこと、それらを、父の遺骨へ向かって語りかけた。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第134回2018/10/18 朝日新聞

 尾崎放哉の句集を愛読する。尾崎放哉の生き方にも共鳴している。我が子が好きだった童話を何回も読む。図書館に集まる子どもたちを眺めて時間を過ごす。
 若い頃に家族にも親類にも迷惑をかけ続けた人であったとしても、この一人暮らしの老人には魅力がある。ただいい人、いいおじいちゃん、というだけでない何かがある。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第133回2018/10/17 朝日新聞

 田辺麻美さんの立場に立てば、優しく子ども思いの年老いた父親と感じたであろう。「カロリーヌおじいちゃん」こと、洋一郎の父の涙は事情を知らない人にとっては心を打つ涙だと思う。

 洋一郎の「嘘だろ‥‥」の気持ちは、ますます深まる。父は、携帯電話に母と姉と洋一郎の名を登録していた、カレンダーに母と姉と洋一郎の誕生日を書いていた、そして姉と洋一郎が子ども頃に大好きだった童話をなつかしがって読んでいた、それらを知った時に洋一郎は、「嘘だろ‥‥」と声に出している。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第132回2018/10/16 朝日新聞

 小さいものではあるが、こいのぼりを飾ってくれ、童話の本を買ってくれ、しかもその童話を父本人も熱心に読んでいたらしい。
 これを、子煩悩な父と呼ばないわけにはいかない。だが、この父が妻と子を捨てたも同然なのだ!

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