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新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 の感想と、読んだ本の感想を更新しています。

2019年01月

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第237回2019/1/31 朝日新聞

 作者の問題をとらえる視点は、幅広い。ゴミ屋敷の主とは、予想しなかった。
 ゴミ屋敷のことは、この小説以外で注目していた。現在、ゴミ屋敷と呼ばれる極端な事例でなくても、不要な物の片付けができない人は多くなっていると思う。使わない物を片付けられずに、程度の差こそあれ、溢れる物に囲まれて暮らしている人の数は、多い。それどころか、不要な物と無駄な物を持たないで気持ちよく生活している人は、私の周りではほとんどいない。私自身も、家の中のある部屋、ある家具の中は、小さなゴミ屋敷になっている。
 もしも、高齢の親が、後藤さんのようにゴミ屋敷の主としてTVで取り上げられたら、どうするだろう?子どもが必死で、片付けたり、説得したり、叱ったりしても、元の木阿弥だろう。病気として医療機関に相談することも難しいし、認知症のように一般に病気としてとらえられることもない。その上、周辺の住民の非難は激しい。
 きっと、困り果ててしまう。

 不要な物、無駄な物を買い込み、処分できずにため込むのは、高齢者だけではなく、今の社会のあらゆる年齢に見られる問題だと思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第236回2019/1/30 朝日新聞

 後藤さんの本音が出て来た。本音を引き出すことができたのは、後藤さんへの洋一郎の弱気に見える対応と話の流れに引きずられただけのような酒の付き合い方にある。とにかく、後藤さんを安心させたのは、あいまいで優柔不断な施設長洋一郎の態度にある、と感じる。
 父のことについても、川端さんや神田さんたちが勝手に動けるのは、洋一郎が弱気であいまいだからと感じていた。だが、彼には神田さんのような人を安心させる要素がどこかにあるのだろう。
 周りの評判など気にしない大人物というのではないが、なんとも不思議な性格の主人公だ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第235回2019/1/29 朝日新聞

 酒が入れば、後藤さんは、息子自慢だろう。施設長としての洋一郎は、それをニコニコして聞いているわけにはいかない。洋一郎からは、実の父と自分のことが、何か出て来るように思う。その前に、後藤さんの部屋から眺められる富士山のことが話題になるのかもしれない。
 このファミレスでの二人の会話が始まれば、「第八章 ノブさん」と「第九章 トラブルメーカー」のそれぞれの内容が交わるポイントになると予想する。

 私は、後藤さんと息子の関係に注目する。後藤さんの妻はどんな人で、どうなったのか、息子は父親にどんな態度をとっていたのか、後藤さんの息子が父と同居しない理由は何か、などを知りたい。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第234回2019/1/28 朝日新聞

 施設長として、後藤さんについての常識的な対処は、息子に連絡するか、そこまでしなくても本人を呼び出して厳重に言い渡すか、だろう。それが、スタッフの皆の気持ちに沿う対処だと思う。それなのに、洋一郎は、それとは異なる対処法をとろうとしている。
 そこには、実の父の死が何か関連しているのだろうか?

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第233回2019/1/27 朝日新聞

 自由気ままに老いていくというのは、このご時世、究極の贅沢なのかもしれない。

 その通りだと思う。実際のところは分からないが、大雑把にとらえて、昭和時代に人生を終えた人は、まだ「自由気ままに老いていく」面が残されていたと思う。それが、昨今ではどんどん変化していっている。幼児は集められて幼稚園バスで幼稚園へ、老人は集められて施設のバスでデイサービスへ、それぞれ気ままさを失わざるを得ない。
 「介護」「終活」「介護サービス付き高齢者用マンション」、そこには、老人の「自由気ままさ」とは、別の何かが存在している。


 『ひこばえ』を読んでいて、大きな疑問が湧く。
 この作品は、ドキュメンタリーのように、こういう今の現実を描きだすだけなのか?それとも、今の現実に何か活路を見出そうとしているのか?
 作者重松清は、この小説のねらい・主題を既に確立しているはずだ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第232回2019/1/25 朝日新聞
 
 後藤さんにとって、最終通告に当たるのは、息子に連絡されることなのだろう。
 洋一郎にとっては、父の遺骨についての最終通告は、無縁仏として寺に預けることだ。
 息子として、そして、施設長として、洋一郎は、この二つの最終結論を先に延ばしたか、あるいは、別の結論をさがそうとしている、と思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第231回2019/1/25 朝日新聞

 嫌われ者という存在は、人が集団で暮らす際には必ず出て来るものだ。その嫌われ者を受け容れるか、排斥するか、あるいは排斥だけでなく攻撃するかは、嫌われ者以外の周囲の大勢の人たちだ。
 今のところは、『すこやか館』の住人は、後藤さんを避けているだけのようだが、これが進めばあからさまに避けたり、無視するようになるだろう。また、高齢者ばかりの特殊な集団だから小中学生のようにいじめへ発展することも十分に考えられる。そうなると、ことは後藤さんの問題だけでなくなり、『すこやか館』全体の安定が保てないことになると思う。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第230回2019/1/25 朝日新聞

 後藤さんに、施設長を騙して、その場を切り抜けようという悪意は感じられない。だとすると、それまでの生活習慣や性格の問題ではなくて、老化に伴う記憶や自己をコントロールする能力が欠けているような気がする。人との普段の会話や、最近のことも息子についての過去のことも覚えているのに、一週間前の約束が守れない。これは、病的なものを感じる。

 洋一郎の父は、晩年にそれまでと違う性格が出て来たようだ。これは、人に迷惑をかけることと逆ではあるが、やはり、老化に伴う変化なのかもしれない。
 後藤さんの場合は、ある年齢から、今のように周囲の人々にとっては、迷惑になる行動を取り出したのではないか。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第229回2019/1/23 朝日新聞

 我が子のことを悩む親は多い。いや、程度の差こそあれ、子のことを悩まない親はいない。そして、最近は、我が親のことを悩む子が話題になる。子が自分の親のことを心配したり、悩んだりすることは昔からあったと思う。それが、一般化したのは、高齢化社会の影響が大きいと思う。
 洋一郎は、実の父が死んだことによって、自分の父のことを悩まなければならなくなった。後藤さんの自慢の子は、これから晩年を迎える父のことを大いに悩んだのだろう。洋一郎にとっても、後藤さんの息子にとっても、どんな親であっても親は親なのだ。

新聞連載小説『ひこばえ』重松清・作 川上和生・画 第228回2019/1/22 朝日新聞

 入居者の内の一人の問題だし、当人が暴れたり、危険な行為をするわけでもない。しかし、これだけ多くのスタッフから不満が出されると、施設長である洋一郎が自ら対処しなければならない問題だ。
 実の父の遺骨のことも、新入居者の後藤さんのことも、結局は洋一郎がなんとかしなければならない。そのためには、父と後藤さんのそれぞれの過去を調べ、事実をつかむことを避けては通れないと思う。

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