昨日の朝にゴミ出しに行ったときは、歩道は凍っていて滑った。今朝は、乾いていた。昨日一日は、湿った雪が時折降り、風も強かったというのに。  「心豊かに」、「夢を持ち」、「希望を失わずに」、よく聞かされ、読まされ、そして、大切な言葉だ。  『赤猫異聞』には、「夢も希望も」もちようがない運命に置かれた三人の主人公が登場する。 俺たちはまるで今し生まれたての赤ん坊みてえに、がらんどうになった心を空に向けた。  「俺たち」とは、主人公二人のことだ。思うだにしなかった経験をさせられ、今後の予測もまるでつかない。だが、「がらんどうになった心を空に向け」という心持ちには、なにかがこめられている。この主人公たちは、ここまでは確かに行動してきたし、この先も自分の意志で動いていこう、という強いものをもっている。  赤ん坊のようながらんどうの心、困難と理不尽に埋め尽くされた二人がたどり着いた境地だ。    変わることのない自己の意志を守り続けるという生き方もある。この作品に描かれているのは、そういう生き方とは異質のものだ。どうしようもない境遇に翻弄されながら、その変化を受けいれ、その過酷な境遇に適応して生きる生き方だ。  謂わば、開き直りだ。周囲の事情を変えようとする立場ではなく、周囲の事情と運命に適合して、それでいながら、失わないものを持ち続ける主人公たちを、作者は創造している。    私を含めて、今の世の中は、自分に都合の悪いことがあると、その都合の方を変えようとする。理不尽な扱いを受けると、その理不尽を責める。理不尽さを正すのは、正しい。しかし、世の中の理不尽を全て正すことは簡単にはいかない。だからといって、諦めるのも嫌だ。負けるのも嫌だ。  自分に降りかかったものはまず受けいれ、それを乗り切るために、 「開き直り」「まず行動ありき」といったものを、この小説の主人公たちに感じる。 時代は江戸だが、創られている登場人物たちの心情は、それほど時代にしばられていないようだ。