朝日新聞連載小説 『春に散る』第15回  新しい章に入りました。今回の最後の文に次のようにあります。 自分は正真正銘の病人だったからだ。  「広岡」は、チャンピオンへの夢を果たせなかった元ボクサーでした。  また、医師から車の運転を止められていました。ここから、私はボクシングの後遺症があるのだろうと思っていました。が、この文からは、もっと深刻な病気を患っているような気がします。 クリックをお願いします。にほんブログ村 本ブログ 読書日記へ  
 私は、以前から高血圧症などで、定期的な受診と毎日の服薬を続けていました。でも、自分のことを病人と意識したことはありませんでした。  今は、自分が病人だという意識がはっきりとあります。病人という意識を持っていると、日常の暮らしで、何を考えるときも何をするときも、このことが前提になってしまいます。  病人だから今まで引き受けていたことを断る。病人だから家事よりも安静を優先させる。病人だから手助けを受けることもやむを得ない。このように考えて、行動することが当たり前になってしまいました。  そして、自分の病気とその治療についての話は、聞いてくれる方の関心を集めるはずだと思い込んでしまいます。  さすがに、大事にしてほしい、同情してほしい、という気持ちは持っていません。  でも、油断をすると、全てに甘えが出てしまうことも確かです。