朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第33回
 「代助」の考えは次のようなものでした。
 今の日本は西洋に追いつこうとして、無理ばかりしている。国のこのような姿勢は、国民一人一人に影響していて、国民は目の回るほど働かなければならなくなっている。
日本国中どこを見渡したって、輝いている断面は一寸四方もないじゃないか。悉く暗黒だ。その間に立って僕一人が、何といったって、何をしたって、仕様がないさ。
 「代助」のこのような観察と意見について、現代の私が何を感じるか、難しいところです。
 「代助」は、当時の上流階級の一員であり、教育の程度は高く、西欧の事情と思想に通じていました。明治の人間の中でも、恵まれた環境にあると設定されています。ですから、当時の庶民の感覚とはいえないでしょう。
 しかし、当時の日本人が感じていたことを、ここから受け取ることはできます。

 歴史上の事実を知ることはできますが、その時代の人間の感じ方や考え方を知るのは難しいと思います。
 例えば、私たちの世代が昭和のバブル期に何を感じていたかは、現在、既に伝わらなくなっています。昭和のバブル期には、多くの勤め人の給料が上がったのは確かですが、それによって、投資や不動産売買に手を染めるようなことは、少なくとも私の身の周りの人にはいませんでした。また、有り余るお金で贅沢をしたなどという人は、当時の世の中の一部の人々です。だから、 バブルの頃は日本中が、景気のよさに舞い上がっていたなどという観察は、当てはまりません。
 それどころか、当時の職場の一般の勤め人は、経営者側と労働組合側の双方から出される指示の板挟みになっていた、という感覚を思い出します。

 その時代の人間の感じ方と考え方は、歴史学だけではなくて、当時の文学の中に見ることができるのだと思います。