朝日新聞2015/5/19 インタビュー記事 『インタビュー 歴史の巨大な曲がり角』 見田宗介
 見田宗介は、インタビューに次のように答えています。
近代社会は「未来の成長のために現在の生を手段化する」という生き方を人々に強いてきました。成長至上主義から脱して初めて、人は「現在」という時間がいかに充実し、輝きに満ちているかを実感できるのではないか

 私が知っている人たちは年を取り、生まれてくる子どもの数は少ないのがよく分かります。近所では、お年寄りのひとり暮らしが増え、それに伴って空き家が増えています。空き家が壊されても新しい家が建たずに、売り地の看板が立ったままになっている所もあります。
 郊外にドライブに出ると、農作地が減り、かつては水田だったところが草に覆われています。町に入り、その町の駅前通りが廃墟のような様子になっているのを見ても驚かなくなりました。
 村おこし、町おこしの活動は、しばらく経つと、その活動の担い手であった若かった人たちの後継者が不足し始めているようです。
 私の近所や、地域では、昭和30年代から40年代頃のような成長発展は、もうないと感じます。
 発展のない地域で、増えることのない収入で、若い人のいない中で、生きていくしかありません。
 それには、新しくて広い住居を持つ、より高価なものをたくさん食べる、大きくて性能の高い車と便利で新しい物をたくさん持つ、日本の経済をよくすることを考えて消費し貯蓄もする、などを目指さないことです。最近は、エコとか、断捨離とかいって、新しい物を買うことに後ろめたさを感じるようになってきています。でも、もし機会があれば、より便利な住居に住む、よりおいしいものを食べる、こういうことに慣れ親しんでいます。その感覚を完全に捨て去ることはできないかもしれません。
 でも、現実はそういう成長発展はもう終わったことを見せてくれています。
 家が古くなれば、古くなったなりの住み方を工夫する。空き地が増えれば、その空き地の草木を眺めて楽しむ。少数者となった若い人たちのことを、考えて暮らす。今や人口の割合の中で多数者となった私には、そのような生活の仕方があると感じました。