朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第49回
 「広岡」は、不動産屋の店主にますます怪しまれます。
 小説の中でなくても、次のようなことのいくつかが当てはまるとどうなるでしょうか。
 定職に就いていない。家族と同居していない。携帯スマホを持っていない。携帯スマホはあるが固定電話を持っていない。運転免許証や健康保険証を持っていない。今は一時的にそうなっているとしても、このうちのいくつかが当てはまると、今の日本の社会では、なんの信用も得られないでしょう。
 頻繁に利用している金融機関で、窓口の係と顔見知りであっても、カードや通帳がなければ、何もできません。
 過去にどのような経歴があっても、現在を証明するカード類を示さなければ現住所さえ信じてもらえません。
 逆にいうと、身分を証明するカードと、パスワードを知っていれば、本人とみなされるのです。
 そして、そういうシステムをおかしいと感じないで受けいれてしまっています。これは、まちがいだと思いました。