『病床六尺』 正岡子規
 『病床六尺』が、新聞連載の百回目を迎えたことが書かれていました。私は、この文章が新聞に連載されていたことを知らずに読んでいました。
「病床六尺」が百に満ちた。一日一つとすれば百日過ぎたわけで、百日の日月は極めて短いものに相違ないが、それが余にとつては十年も過ぎたような感じがするのである。
 子規は、日記として『病床六尺』を書いていたと思っていましたが、違っていました。しかし、新聞連載であったということを知って、今までいろいろ感じていたことに納得がいきました。
 読者を常に意識した文章であったと思います。それは、読者に迎合するという意味合いでは全くありません。むしろ、時代が違うとはいえ、反論や批判が出そうなことも堂々と主張されていると感じます。読者がいて、締め切りがあるということは、健康な書き手にとっても、負担になることでしょう。
 子規にとっては、執筆を続けることが辛い日も多くあったことが伝わってきます。しかし、それよりも、表現することに生き甲斐を見いだしていたのだと思います。正岡子規の表現への意欲と喜びを感じます。