朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第90回2015/7/11

かりにその世界から出て行こうとしても出て行かれなかったにちがいない藤原のようなボクサーこそ、真のボクサーなのかもしれない。真のボクサーは、ボクサーであることをやめても、元ボクサーとしてしか生きていけない

 美しい文章だ。真のプロスポーツマンの生き方が示されている。ボクサーだけに限らない。真のプロ野球選手は、プロをやめても、元野球選手としてしか生きていけない、と言い換えられるだろう。
 これは、広く考えれば、スポーツマン以外にも当てはまりそうだ。例えば、真の刑事は、退職しても元刑事としてしか生きていけない、のように。
 私の若い頃は、こういうとらえ方が一般だった。だから、周囲には、元郵便局員、元教師、元銀行員、元大工などという人が大勢いた。
 それが、いつの間にか……。「退職したらそれまでの経歴をすっかり忘れて第二の人生を歩もう。」の大合唱となった。そう考えると、楽になれた。だから、今は、職に就いていた老人が皆元○○ではなくて、リタイヤした人となって、気楽にシニアライフをエンジョイしている。
 私もその典型だ。

 「第二の人生」、「シニアライフ」、「エンジョイする」、どれも怪しげな言葉だ。「第二の人生」があるならば、終末までには「第三の人生」が待ち受けている。
 「豊かで充実したシニアライフ」などというものは、これからの社会では架空のことだ。