朝日新聞連載小説『それから』夏目漱石第65回2015/7/2

 「代助」の論理が述べられている。私は次のように理解した。

 山の中に住んで林業をしているような境遇の男性は、親の取り決めた通りの女性と結婚するのがふさわしい。女性と出会う機会が少ないのだからそれが安全な結果につながる。そして、そうすることが「自然の通則」である。
 一方、都会に暮らす人は常に多くの異性と会う。「人間の展覧会」である都会で、次々に新しい異性に心を動かされない人は、感受性が乏しいのである。美に対する感覚を持っているなら、次々に別の異性に心変わりをして当たり前なのだ。だが、既婚の人は、心変わりの度に「不義の念」に責められることになる。それが、いずれ不幸な結果を招く。つまり、都会人にとって、どんな結婚も、不幸を招くものでしかないのだ。

 おもしろい論理だと思う。批判され、反論されるだろうが、現代でも本質を突いている。

 「代助」が「三千代」に感じている「情合」も、上の論理で言えば、一時的なものになる。ところが、次のように書かれている。

自分が三千代に対する情合も、この論理によって、ただ現在的のものに過ぎなくなった。彼の頭は正にこれを承認した。しかし彼の心(ハート)は慥かにそうだと感ずる勇気がなかった。

 複雑だ。だが、それはそうだろう。「三千代」を思う「代助」の気持ちが、より美しい別の女が現れれば直ぐに変わってしまう。そんなふうに、割り切れるものではない。