『母 -オモニ-』姜尚中

澱みのない、張りのある大きな声は、日の当たる「成功者」としてのテソンの勢いを表しているようだった

 「姜尚中」の叔父「テソン」が登場した。
 頭の良い人で、太平洋戦争前は日本軍の憲兵となった。当時の憲兵という地位は、朝鮮から日本に来た人々の中の出世頭だった。「テソン」は、憲兵になることが経済力と権力を手に入れる近道だと気づき、その地位を手に入れた。 
 当時は日本人にとっても、憲兵になるのは難関だったはずだが、それを見事に乗り越えたのだ。そして、目論見通り、金と力を手に入れた。
 しかし、戦争の終結で、その全てを失い、命からがら故国に戻った。
 今度は、故国である朝鮮で、弁護士となり、大成功した。 
 目まぐるしく社会情勢が変化する中で、次の時代に最も脚光を浴びる職業を選び、その職に就くことができる能力と才覚を持った人物だった。
 「テソン」の兄であり、「姜尚中」の父である人物の実直さと比べると、兄弟とは思えないほどの「成功者」だった。
 その「テソン」の成功の果てが次のようなものだった。

父が亡くなる1年ほど前から交通事故で小さな病院に入院していたテソンは、父の死後数ヶ月の後、誰からも看取られず、淋しくその生涯を閉じたのである。

 経済力と権力で多くの人から羨まれることと、その人の人格が尊敬されることとは一致しない。
 そして、社会的な地位は、その肩書きを失えば、たちまち霧散する。

 金と地位の空しさを、分かっているつもりでいるが、世の中に出れば、職種や地位が気になり、競争心を持ってしまう。
 仕事を辞めてからも、あの人の方が年金が高い、あの人の方が若く見える、あの人の方が介護してくれる家族が多い、などなど、気にするのを止めるのは難しい。