朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第113回2015/7/25

頭がはっきりしたまま八十五まで生きることができれば、そして、そこで死ぬことができれば、幸せな一生と言えるかもしれない……。

 どの学問分野も、高齢化した人間社会と個人を研究対象にし始めているのだろう。しかし、過去の歴史に学ぶことはできないだろうから、研究の成果が出るのは今後になる。
 高齢化問題の専門家と言っても、日本の現実を見ている期間は一般の人々と大差はない。文学者が、この問題に予見を始めたのはせいぜい数十年前だろう。

 私の年齢と経験からは、主人公の上のような考え方に共感できる。少なくとも、この表現をひっくり返した場合は、「幸せな一生」とは言えないと思う。
 しかし、この考え方に自信は持てない。
 文末の「かもしれない……。」が表現している通りだ。