朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第203回2015/10/26

無料の簡易ホテルのようなものかもしれない。

 広岡のイメージしていることがようやく見えてきた。
 入居と退居が自由にできる。しかも、無料の宿泊施設ということだ、そして、利用者は元ボクサーを対象に考えている。これは、老人ホームともシェアハウスとも違う。

 それにしても、住居というのは、難しいものだ。これだけ物質的に恵まれている日本でも、安心して暮らせる家を持つことや借りることができている人は多くはない。特に、高齢者ほど住む家の不安は増える。
 最近、「終の棲家」という言葉を聞くが、人生の後半から最後までの期間に住むべきところの意味で使われていることが多い。しかし、老人になって住む家というのもおかしなものだという気がする。確かに、青年期や中年や老年で住宅に求めるものも大きく違ってくる。だからといって、それぞれの時期に合う住宅に住み替えるということが一般化しているわけではない。
 要するに、現状は、どんな形態の住居に住むのが合理的で快適なのか判然としないのだろう。団地のスラム化、二世帯住宅が一時の流行に終わったこと、戸建ての家が持ち主亡き後に空き家になること、そして最近の高級といわれたマンションの問題など、よい住処を求めてみんなが模索している。
 昭和時代には、賃貸の共同住宅には独身や夫婦だけの時期に住み、子どもが生まれたら戸建て住宅に何世代かで住むという形態が一般的だった。今は、そういう家族形態がなくなりつつあるのに、それに見合った住居の形態が見つからないのだと思う。