朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第221回2015/11/14

 私の祖父母の世代は、医師から自分の命の限界を知らされることはめったになかった。命の限界の数日前に家族が、それを知らされることはあったが、本人が知らされるのは特別な場合だったと聞いている。
 親の世代では、命の限界を本人に医師が知らせることもあるようになった。そして、最近では、治療の困難な病気の場合に、余命を本人にも知らせることが当たり前になりつつあると感じる。
 私の世代では、命の限界を、医師から知らされることが多くなるだろう。さらに、その予測の精度も高くなるだろう。だが、それを知ったときに、自分がどう考えるか、残された時間をどう生きるか、その前例や指針は見えてこない。

だが、これまで、自分の命の限界をはっきりとした長さで意識したことはなかった。

 これは、広岡が、自分に残された時間をはっきりと意識したということだ。