朝日新聞連載小説『門』夏目漱石第77回2016/1/21

 明治の東京は、現代とは違った意味で盛んに発展しつつある都市であったろう。宗助が住む借家は、そのように変化し賑やかになっていく東京の中で見捨てられた一隅のようだ。宗助夫婦と小六には、希望も発展も見えて来ない。
 だが、煩わしさもあくせくしたところもない。世間体ばかりを気にかけて背伸びをしている様子はない。親兄弟、親戚に気を遣う心配もない。金儲けや出世のために動き回ったり、いらいらすることもない。
 愛する人と静かに時を過ごしているだけの生活だ。それだけになんでもないような会話に笑いが出るのだと感じる。


 家の束縛から逃れ、個人の心情に従って愛する人と結婚する。
 金儲けや出世を考えずに個人の生活を大切にする。
 旧来の習わしや為政者にとって都合のよい道徳から逃れた生活は、明るく希望に満ちたものに描かれることが多い。しかし、漱石はそうは描いていない。
 漱石の見方が正しかったかどうかは、百五年後の今、答が出てきていると思う。