朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第311回2016/2/14

‥‥‥眼が覚めると、コーヒーの匂いがした。広岡はベッドに横になったまま、その香りをしばし楽しんだ。

 人生に一度あるかないかの大変な日でも、いつもと同じ平凡な日でも、一夜明ければ、また朝が来る。そして、眼が覚めたときに何を感じるかが、大切極まりないものだと、思う。

 広岡の今朝の眼覚めは、いかにも心地よさそうだ。



 作者の語句の選び方と国語表記には、いつも教えられる。
 「眼が覚める」は、「目が覚める」とされることが多いし、それが正しいとされる。この場面では、この朝が意味のある朝であり、その目覚めの気分を伝えるためには、「眼が覚める」の方がしっくりする。
 「‥‥‥」の使い方と、「匂い」と「香り」の使い分けにも感心させられる。