朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第319回2016/2/23

 なんだか楽しい「白い家」の朝だ。若い二人と老人たち三人が話している。広岡だけが、部屋でそれを聞いている。
 
 たとえ、二人だけでも人が集まって暮らすとはどういうことなのかを考えさせられた。
 朝目覚めて一人だったら誰かと話すことはない。朝のコーヒーをいれるのも飲むのも一人だ。それを気楽とするか、味気ないとするか。
 誰かと暮らしているなら目覚めて顔を合わせれば話をする。朝のコーヒーもみんなのためにいれ、集まって飲むこともある。一人じゃないということは嫌でも話をしなければならないし、みんなのためにコーヒーもいれなければならない。なによりも、みんなが寝ているのに一人だけ大きな音を立てたりできないし、起きるにも他の人に気を遣う。それを楽しいとするか、煩わしいとするか。
 当たり前のことながら、一人暮らしと共同生活はえらく違う。
 共同生活でありながらあいさつもしなければ話もしない。分担して家事をすることも他の人に気を遣うこともしない。これは、共同生活とは言えない。