世間の道徳に反して、恋によって結ばれた宗助と御米の日々が全編を通して描かれていた。
 宗助は、御米に向って「愛している」とは一言も言わない。御米を喜ばせることや家事を手伝うこともほとんどしない。
 そうでありながら宗助が真に思うのは、御米だけだ。
 御米が病気になったときの宗助の気持ちに、それが表れている。宗助は、妻の病を心配して吾を忘れ、妻の回復に心から安堵している。
 御米は、宗助以外には心を許す人がいない。
 宗助が禅寺へ行った時の御米の態度に、それが表れている。御米は、夫の悩みをあれこれと詮索せずに、夫が出かければ、戻ってくるのを信じてじっと待っている。 

 宗助と御米夫婦の家は、崖の下の日当たりの悪い場所に寂しげに建っている。一方、世間の常識に従って、当たり障りのない夫婦生活を保っている坂井の家は、日当たりがよくいつもにぎやかな様子に描かれている。

 私は、漱石が描いているものを、次のように受け取った。

 互いの意思で結ばれた二人だからといって、幸せな生活があるわけではない。それどころか、世間一般の考え方に反して一緒になった二人は、結婚後も世間から冷遇される。
 だが、その冷ややかな世間で、互いに思い合って暮らしていくことで、二人の心はより強く結ばれる。