夏目漱石『吾輩は猫である』第14回朝日新聞連載小説2016/4/22

 漱石は、いわゆる民間療法に厳しい見方をしている。「主人」がどの療法も三日坊主で投げ出してしまうことをからかっているようだが、その表現の裏には、巷で広がる情報とそれを受け取る態度のいい加減さへの批判があると思う。
 『門』の中では、専門の医者の医療行為に対して、感謝の気持ちさえ表現されている。

 学術的な医療情報と、医学的な治療が、現代では明治時代とは比較できないほど社会に浸透している。それでありながら、健康食品などの情報も氾濫している。
 今朝の新聞広告でも、「○○がひざ痛を変える」 「からだが軽いです。○粒の○○と犬の散歩が毎日の習慣になりました。」(個人の感想)などの文字が並ぶ。
 例え、広告といっても、さすがは大新聞に掲載されるだけあって、文章は明確だ。「痛みが消えた」とも「痛みが軽くなった」とも書いていない。「○○が何かに効果があった」とは書いていない。ただ、「○○を飲むことと犬の散歩が習慣になった」だけなのだ。
 民間療法と現代の健康食品などを同一視はしないが、「主人」が感じている見方は現代にも通じる。もちろん、「吾輩」が思っている世間に流布する情報の受け止め方も含めて。