朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第426回2016/6/11

 一度思い込むとなかなかそこから抜け出せない。
 回りくどく、秘密の暴露があるようなストーリー予想をしたが、そんなありがちな展開は一切なかった。

 令子の思いは、素直で、理解しやすいものだった。


そのとき、広岡は、自分が日本に帰ってきたのはこのためだったかもしれない、と思った。

 若かった広岡が、やけになって立ち直れないでいたときに、ボクシングという進むべき道を示してくれたのは、真田だった。そして、ボクサーとして力をつけていけたのは、真田の指導であり、三人の仲間の存在だった。
 その真田会長の願いが、真拳ジムから世界チャンピオンを出すことだった。
 その願いを達成できないうちは、真拳ジムを閉じることはできない。これが令子の望みであり、広岡たちの望みにもなると思う。
 バラバラだった昔の仲間の生活を立て直し、気持ちを一つにできた今、広岡の進むべき道がはっきりしてきたことを強く感じる。

 広岡のこのような思いに魅力を感じる。損得や理屈を優先せず、自己の感覚に誠実だ。そうでありながら他者のために全力を尽くす面が強く出ている。