朝日新聞連載小説『春に散る』沢木耕太郎第472回2016/7/29

あとはもうジタバタせず、訪れた「そのとき」を静かに受け入れようと。

 こう思いたい。
 「そのとき」がいつ来るのかはわからない。だが、ある年齢を超えると完治しない病気があるのが当たり前になる。もしも、完璧な健康体であるとしても、平均寿命には確実に近づいている。
 広岡の年代の男には、現在は元気に過ごしているとしても、「そのとき」は近づいているのだ。
 老年に入り「そのとき」を具体的に意識したときには、上のように思いたいと思う。だが、なかなかそうはならないだろうとも思う。

 日本に戻ったときも、藤原たちと共同生活を始めたときも、広岡の思いは変わらなかったようだ。だから、日本では病院へも行っていなかった。
 ところが、その広岡の気持ちを変えたできごとがあったのだ。

 ――どうやら自分は、翔吾がどのようなボクサーになっていくかを見届けたいと望んでいるらしい‥‥。

 広岡は、他の三人と違って翔吾のトレーニングに積極的に関わることはなかった。翔吾とふたりだけで話した経験といえばチャンプを捜したときくらいのものだ。
 翔吾は、広岡に倒されたときから、彼を特別な存在として感じて、その感覚は日々増していったびょのであろう。
 広岡は、翔吾のボクサーとしての成長を見るうちに、気持ちが変化したのだ。そして、今や翔吾を「その存在のすべてを無条件に受け入れ」ている。
 広岡のこの望みは、生きることへの未練ではない。死に対する恐れでもない。
 死を具体的に意識しても、誰かに信頼され、誰かのために何かのためにすべきことがあるときに、こう思うことができるようになると感じる。

 世界チャンピオンになるのを見届けたいとはいっていないことに注目する。