主人公は、死ぬ。
 
 藤原、佐瀬、星は、本人たちがその気になりさえすれば共同生活を続けられる。
 翔吾と佳菜子は、アメリカに渡り、それぞれの夢の実現へ歩みだせる。
 主人公の遺書がそれを裏付けている。遺書だけでなく、令子が主人公の遺志を実現させるであろう。

 広岡の死を、佳菜子の感覚が察知している。最終回の設定だ。


 主人公は、去った。が、‥‥

 この花の道を歩きつづける自分の後ろ姿が見えたような気がした。顔を上げ、ただ歩いていく。

 最終回は、「広岡」が去る場面が描かれている。

 この小説は、想像の部分と同時に現代の現実をも描いている。
 意識を失いそうな広岡に通行人が声をかけている。声をかけた通行人の通報で病院へ搬送されれば、現代の医学では治療も可能であることを、作者は意識においているのではないか。
 心臓発作からも救われることは珍しくない。そして、現代の日本では「広岡」とその仲間の年代にはまだまだ時間が残されている。

 「広岡」は、舞台から去るが、「広岡」のさらなる先の姿が、どこかで描かれるのではないか。
 私の強引な読み方だが、最終回の設定はそれを物語っている。