朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第30回2017/1/31
 
 愛甲会の辻村は、巧妙に目的を達成した。
 この抗争の出発点であった愛甲会の熊井組長が襲われたのも、裏切り者の手引きがあったかもしれない。もし、そうだとするなら、そこに辻村が絡んでいたであろう。
 熊井親分亡き後、辻村は愛甲会の組長にはならずに、もっと大きなものを狙っていただろう。権五郎を撃ったことによって、宮地組が潰れ、立花組が弱体化した。まさに、辻村の狙い通りだ。
 任侠の世界では、悪い奴ほど大きくなれる。冷酷であればあるほど、力を付ける。
 それは、極道の世界だけでなく表の社会であっても、組織の中で上へ行くための条件の一つだと思う。
 
 花井半二郎は、唯一の証人だが、真実を語ることはないだろう。
 役者、映画俳優といっても、所詮は人気商売、辻村の罪を暴くことが自分の利益にならないことを百も承知だろう。それよりも、証人になれば自分だけでなく家族、一門の命をも危うくすることをよく知っているはずだ。
 さらに、半二郎にはそれだけでない弱みがあるのではないか。そうでなければ、興行の関係があったとはいえ、そう簡単に辻村の誘いにのって極道の新年会に顔を出すはずがない、と思う。