26~37回
 立花組組長権五郎の腹に二発の銃弾を撃ったのは、権五郎が味方と思っていた愛甲会の辻村だった。辻村が権五郎を撃った現場には、役者の花井半二郎以外には誰もいなかった。
 親分亡き後の立花組を仕切ったのが、この辻村であった。殴り込みをかけた宮地組は、事件を起こしたせいで、組の解散に追い込まれた。
 辻村の計らいで、父権五郎が死んだ後も、喜久雄と徳次は以前のように遊び暮らしていた。しかし、ある日、映画館で中学生のワルたちに歯向かわれた。中学生のワル、ニッキの譲治たちは、立花組が落ち目であり、喜久雄が親の敵も取れないことをバカにして、隙をついて徳次を殴り倒した。映画館で、乱闘する喜久雄と徳次たちと、ニッキの譲治たち、そこへ警官が現れる。喜久雄を警官に捕まらせまいと、徳次は自分を犠牲にして喜久雄をその場から逃がした。捕まった徳次は、鑑別所送りになった。  
 大晦日の夜、春江の家でくすぶっている喜久雄の所へ、鑑別所を脱走してきた徳次が現れた。徳次は、親分の敵を討とうと喜久雄を説得する。しかし、喜久雄はその話にはのらない。

38~50回 
 銃弾を二発くらったが、権五郎は病院で三日生き続けて死んだ。死に際の父権五郎に対して、喜久雄は、父親が何かに負けて人生を終えることが悔しくて涙を流した。
 権五郎が死んで、喜久雄は天涯孤独になった。というのは、喜久雄の実母千代子は彼が二歳のころに病死していたのだ。今の母マツは、後妻だった。結核だった千代子が生きているうちから、マツは権五郎と夫婦同然であった。しかし、マツは病気の千代子の面倒もよくみる女であった。
 権五郎が死んでから立花組はすっかり勢いを失って、愛甲会の辻村が好き勝手に振舞っていた。権五郎の一回忌も粗末なもので、マツも喜久雄も惨めな思いを味わわされた。
 そんな変化にも関わらず、喜久雄と春江の仲は続き、二人して刺青を入れた。喜久雄は、春江のポン引きのような生活を送っていた。夜の街に立つ春江と喜久雄の所にやってきたのは、喜久雄の学校の教師尾崎だった。尾崎は喜久雄を殴り、「お前は、この先、一生、こげん暮らしば続けていくつもりか!」と怒鳴りつけた。
 尾崎に殴られた翌日、喜久雄は久し振りに学校へ向かった。登校の途中、逃亡生活を続けていた徳次が現れた。徳次は、大阪へ行くと言う。喜久雄は、自分も徳次と一緒に大阪に行くと嘘をついた。徳次と別れた喜久雄は110番へ、徳次の立ち回り先を電話した。
 学校に着いた喜久雄は、朝礼の列に加わる。彼は、ドスを隠し持っていた。朝礼では、慈善家として宮地恒三が演説を行うことになっていた。この慈善家こそ、喜久雄が親の敵と思っている宮地だった。宮地の大親分が壇上で、マイクのまえに立とうとする。喜久雄は、ドスを握りしめ、大親分めがけて一気に駆け出す。