朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第47回2017/2/18
 
 学校に行こうとすると、母親に珍しいと言われる。昨晩教師に殴られてきたことを、若い衆に知られていて、しかもそれを母の前で言われる。父の位牌に手を合わせると、これも珍しいと組員からちゃかされる。
 組の本家だから、一般家庭とは違っている。しかし、一般の家庭でも、似たような様子はあった。この頃の時代の家庭の食事は、家族や同居している人たちとみんなで食べるのが普通だった。また、子どもがやった悪い事は、親にはバレなくても、兄弟や近所の人には知られてしまい、それを平気でみんなの前で話された。
 
 喜久雄の周囲と、小説『クラウドガール』の姉妹と比べるなら、家族関係、人間関係はまるで別世界の様子を見せている。

 喜久雄の環境は父が死んでから、特に悪くなっていて、中学生に良い影響を与えることは何一つない。それでいながら、今感じるのは、不思議にも彼が不幸のどん底にいるとは感じられないことだ。乱暴でも、教師や周囲の大人が子どもに関わってくるのがよかった、などと昔を懐かしがっても、なんの役にも立たない。
 ただ、『クラウドガール』に描かれている若者は、喜久雄の青春よりもつらいのではないかと思う。子どもの心を傷つけるようなことには親でも触れようとしない人間関係の中で、豊富な物に囲まれながら食事は独りでとるような生活が、幸福だとは感じられない。

 喜久雄が、学校に行こうと思い、権五郎の位牌に手を合わせたのは、昨夜のことが、彼に何か変化をもたらしているのだろう。昨夜、尾崎が春江に何を言ったのかも気になる。