朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第65回2017/3/8

どちらもよく磨かれた廊下でありながら、極道の家のは、長年、男たちが裸足で踏みつけてきたもので、逆にこちらはそこから女たちの素足が連想されるのでございます。

 これは、誰がこう連想しているかというよりは、語り手の説明だと思う。こういう感覚と表現に魅力を感じる。63回では、半二郎の家の中の音を聞いた喜久雄の気持ちが書かれていた。

(略)喜久雄が妙に懐かしい気持ちになりましたのは、この騒々しい朝の気配が、まだ権五郎が存命だったころの家を思い出させたせいなのですが、ふとそこに、長崎の実家では聞き覚えのない三味線の音色が遠くから微かに聞こえてまいります。(63回)

 
家の中の音や磨かれた廊下で、小説の場面が巧みに設定されていく。