朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一第72回2017/3/15

まるで吠(ほ)え合う闘犬のようで、見ている喜久雄たちまで息が詰まります。

 伝統芸能の稽古が厳しいものだというのは、どこかで聞いていた。しかし、これほど激しいものとは知らなかった。一言一言と言えばよいのか、一節一節なのか、とにかくやることなすこと全てを叱られ、直されている。

 歌舞伎を観たことがないし、観ようと思ったこともない。歌舞伎と浄瑠璃の関係もわからない。義太夫に至っては本物を聞かされても、それが何であるかわからない。歌舞伎役者については、テレビドラマに出演している場面で知るだけだ。
 こうやって、振り返ってみると、あまりにも関心がなかったと思う。興味がないどころか、歌舞伎や筝曲を嫌っていたと思う。
 なぜ、嫌っていたのだろう。芝居や舞台を観る文化に縁遠い環境だったことが大きい。また、伝統的な芸能は古臭いと決め込んでいたせいだろう。
 ラジオでごくたまに浪曲が放送されることがある。最近は、ちょっとおもしろいと思う。数日前に、NHK Eテレの「趣味どきっ! 獅童のいざ歌舞伎へ 歌舞伎の新たなアプローチ」を観たら、これもおもしろかった。
 国宝を読んで、歌舞伎の楽しみに少しでも触れられれば、儲けものだ。