朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第79回2017/3/22

 この小説の語り物のような調子は、どんな効果を上げているのか。今回は、語りと登場人物の会話でほとんどが構成されている。
 この「あります。」という文末は、ナレーションや作者の視点というより、物語の語り手のものだ。私は、この調子に未だに慣れない。歌舞伎や舞台を観る習慣がないから、この調子に馴染まないのであろうか。
 また、登場人物の心理や背景が描かれないで、ストーリーが進むのにも、慣れることができない。喜久雄が単独で敵討ちをした理由、役者の修行をどう受け止めたか。徳次は誰の計らいで喜久雄と一緒の列車に乗ったのか。そういう、背景や心理が書かれないで、小説の時間だけが比較的のんびりと進む。
 詳しく書かれるのは、舞台となる昭和の時代の空気だ。しかし、その昭和の雰囲気と、この文章の語りの調子が一致しているとも感じられない。
 歌舞伎のせりふの調子や独特の人物表現と、この小説の展開や文章表現が重なっているのであろうか。いずれにしても、新聞連載小説としては、相当に異色だと思う。

 喜久雄は、本当に高校に通い、役者の稽古をもしているようだ。抵抗なく、半二郎の家の環境に馴染んでしまったのか?また、疑問が増える。