朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第回2017/4/13

 徳次の気持ちについて、想像したことがあった。82回感想 俊介に対しても兄貴分のようになるのかと思ったが、違っていた。徳次にとって、喜久雄はただ一人の「坊ちゃん」だった。
 権五郎が生きていた間の喜久雄が徳次に、字や計算を教えていたなんて、微塵も想像しなかった。思いもつかなかったが、語られてみると、大いに納得できる。組員たちには、バレないように、外見では悪いことの相談でもしているような様子で、字を教え、習っていたのだろう。それを、知っていたのはマツだけかもしれない。
 二人は、そのころの置かれている立場こそ違え、生い立ちと境遇は共通だということを、互いに感じ取っていたのだろう。

 十代の人間が誰によって育てられるか、を考えさせられる。徳次は、親、教師によって育てられていない。親、教師だけでなく、大人によっても育てられていない。近い年齢の喜久雄、春江、弁天から学んでいる。大人からは、痛めつけられることの方が多い。それは、小説の中だけなのか、徳次だけなのか。
 子ども、少年を、育てるのは、親、教師そして家庭、学校だ。それが、私の現実的な常識である。
 その常識に見直しを、迫られているようだ。
 
 もう一つ、常識を変える。義太夫節を聴く、私の常識にはなかった。ラジオ番組で義太夫節を聴き始めた。