朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第110回2017/4/23

 劇評家の藤川教授は、「自分が江戸時代にいるのかと錯覚したくらい」と言っていた。ということは、二人の舞踊は伝統通りの芸だったのだろう。半二郎が、骨に覚えさせると教えた踊りは、伝統を忠実に伝えるものだったと思われる。
 しかし、そのままでは喜久雄と俊介の芸は、歌舞伎愛好家の間だけに通じるもので終わるのではないか。時代は、昭和の40年代、伝統的な歌舞伎が興行として発展する見込みは薄くなっている。梅木社長は、そこに既に気づいているのと思う。だから、竹野を側に置いているのではないか。
 伝統的な芸の基本を身につけた東一郎と半弥を、歌舞伎を退屈過ぎるという竹野なる新入社員が、もしもプロデュースしたら、いったいどうなるのか?

 竹野についての次の表現にも注目した。

 相手に噛みつくような物言いは、腹を立てたときの喜久雄にどことなく似たところもございますが、(略)