朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第114回2017/4/27

 世間の大部分の同世代の者は、高校へ行き、その中の何割もが大学へ進んでいる。また、数は少なくなっていたが、中学校を卒業して都会へ出て働いている者もいた。
 そういう世相の中で、喜久雄は義太夫節や舞踊の稽古だけをしていた。高校も中途で辞めていた。
 歌舞伎役者になりたいという希望を持ち、その実現のために役者修行に取り組んでいたというのとは違う。歌舞伎役者の家へ居候することになったのは、喜久雄が考えたことでも予想したことでもない。喜久雄が単独でやった父の敵討ちのせいだ。敵討ちに失敗したせいだ。だから、長崎を追われ、大阪の半二郎の所へ行くことになったのは、喜久雄の身から出た錆とも言える。
 しかし、立派に敵討ちを果たしていたら、間違いなくまだ鑑別所なり刑務所なりに収容されていた。敵討ちに失敗して、喜久雄が一番嫌っていた教師尾崎と本当の敵辻村のおかげで、半二郎の一門に入ることができたのだ。
 喜久雄は、十六歳からの四年間を、好きで、おもしろいと感じた歌舞伎役者の稽古にだけ打ち込んだに過ぎないと思う。そこには、喜久雄自身が将来のことを考えた結果などは感じられない。
 運命のまま、そう言えば聞こえはよいが、成り行き任せで、好きなことを夢中でやっているだけなのだろう。
 喜久雄には、学問もなければ、常識もない。良識とか道徳観もはなはだ怪しい。あるのは、世話になった人へ恩義を感じる心と、信頼できる仲間を大切にする心と、好きな稽古や舞台をやり遂げる意志だけだと感じる。
※物語の時系列 102回 感想