朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第166回2017/6/20 

 今まで一度も物語上では描かれていないが、半二郎は、喜久雄に大きな負い目を感じていることと思う。
 そして、喜久雄に負い目を感じている以上に、俊介のことを愛していると思う。
 勝手な推測ではあるが、自分の代役に喜久雄を立てたのも、ただ俊介の芸が未熟だったからではないと思う。代役を決めたのは、喜久雄がよいか、俊介がよいか、ではなくて、何かもっと大切なことのためには、喜久雄の方がよいと判断したと思う。

 『菅原伝授手習鑑』の「寺子屋」で、「源蔵」は、なによりも大切である「菅秀才」を守るために、誰かを犠牲にするしかないと悩む。
 さらに、半二郎が演ずるのは、身代わりとなった「小太郎」の実の父「松王丸」だというから、その意味は深い。また、「松王丸」の妻、「小太郎」の母の名が「千代」というのも何か縁がありそうだ。「菅秀才」と「小太郎」を、俊介と喜久雄に当てはめるような簡単なものではないであろう。
 歌舞伎役者にとって、なによりも大切なものは、実の子でも愛弟子でもなく、舞台であり、役者としての名跡なのではないだろうか。