朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第171回2017/6/25

 敗戦後の昭和の風潮として、人間の生き方は運命に支配されている、というとらえ方は流行らなかった。その逆で、人は夢をもち努力すればどんなことも成し遂げられる、というとらえ方の方が歓迎された。
 『国宝』を読み継いできて次のように思う。
 運が全てを決めるからと、何もせずに運頼みの生き方をするなら、運ではなく、他人の言いなりになってしまう。
 一方、自分の目標と努力が全てを決めると考えるなら、失敗や挫折の度に自分を責め、生きることに疲れ切ってしまう。
 運命と自己決定は、生きていくことをどの面から見るか、だと思う。そして、『国宝』は、人を運命の面から描いている。

 ラジオ番組で、萩本欽一が片岡鶴太郎へのインタビューで、次のような趣旨の発言をしていた。
 自分の今までの芸能人生はすべて運が決めた。運というのは、結局は人との出会いだ。
 また、片岡鶴太郎は、次のようにも言っていた。
 自分が芸人に初めて弟子入りをした時に、その時の師匠から、お前はもう今日から堅気の人間ではなくなる、と言われ、うれしかったことを覚えている。
 『国宝』は、芸人の表面だけでなく、芸人、役者の全体像を描いていると思う。

 物語が、大きく動きそうな断片がいくつもある。
①襲名披露が無事終われば、幸子が言った通り、俊介の歌舞伎役者としての道は絶たれる。
②激励会ということは、襲名披露はまだか?
③辻村将生の名が出てきた。
④源さんはいるのに、徳次がいないのは?
⑤唐突に半二郎の聴覚が敏感になったことが出てきた。
 半二郎の耳は、大勢のざわめきの中から何かを聴き取るのであろうか?