朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第173回2017/6/27

 いつも崖っぷちにいるのが、喜久雄だ。
 父が襲撃された時に出ていけば、どうなっていたかわからない。それを、徳次とマツが止めた。
 長崎の映画館で中学生のワルたちに襲われたときは、徳次がいなければ、大怪我をするか、警察に捕まったかだろう。
 宮地の大親分を襲った時は、捕まって鑑別所に入れられただろう。それを、尾崎が救った。
 歌舞伎役者として舞台に立つようになってからも、何度も人気が下火になりそうになった。それを、半二郎の事故や病気や、俊介の出奔によって免れた。
 だが、襲名の舞台を前にした今が一番の崖っぷちに立たされているように感じる。
 半二郎の健康も、俊介の動向も危うい。さらに、今回の最後の長い一文の意味するところは?

このころすでに役者と裏社会の関係が取り沙汰されておりましたが、(略)そこには彫り物のある若者ではなく、芸道に励む若者がいたのでございます。

 
「芸道に励む若者」という喜久雄のイメージは、当時の芸能記者や周囲の関係者によって作られたもの、という意味にとれる。そして、それは逆に動き出すと、実子俊介を追い出した「彫り物のある若者」となる危うさを秘めている。