朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第189回2017/7/13

 第25回は、半二郎(白虎)の言葉で始まった。

辻村はん‥‥」
 このとき、辻村から乱暴に払われて、思わずよろけた半二郎の目に映りましたのは、拳銃のワルサーでありまして、おもちゃの銀玉鉄砲では知っておりますが、さすがに本物を見るのは初めてあります。

(略)

 気がつけば、銀玉鉄砲ではないワルサーの銃口が、まっすぐに権五郎の腹に向けられております。
「なんの真似や?」
権五郎がゆっくりと一歩まえへ出ようとします。しかしその顔はすでに死んだようであります。
「パン」
(25回)

 その場には権五郎と辻村と半二郎の三人しかいない状況で、辻村は、権五郎の腹に二発撃ち込んだ。権五郎は意識が戻ることなく死んだ。辻村がなぜ権五郎を裏切ったのか、半二郎に口止めをしたのか、そういう事情は一切書かれていない。描かれているのは、辻村が権五郎を撃ったことが、完全に闇に葬られたことだけだ。



「わしも、そう長(なご)うない。そやから喜久雄に伝えておかんならんことがあんねん。でもな、それがどうしてもうまく伝えられん」(189回)

 
これ以上に、事実を語ることはできないのであろう。ただ、その事実に対する白虎の深い思いは、その後の言葉に表れている。

「おまえに一つだけ言うときたいのはな、どんなことがあっても、おまえは芸で勝負するんや。ええか? どんなに悔しい思いしても芸で勝負や。ほんまもんの芸は刀や鉄砲より強いねん。おまえはおまえの芸で、いつか仇(かたき)とったるんや、ええか? 約束できるか?」

 そして、白虎のこの精一杯の言葉が意味していることを、喜久雄は微塵も気づいていない。