256回感想その2 

 敗戦後の昭和のヒーローたちは、実は経済復興の主人公でも民主主義の申し子でもなかった。
 昭和のヒーローは、昭和の前の時代である大正と明治時代に理想とされた国家に尽くした偉人とも違う。庶民が愛した昭和のスターたちの人間像は、文明開化の明治時代を飛び越えて、歌舞伎に描かれる江戸時代の主人公に近かったのではないか。
 長嶋は、天才肌の個人プレイヤーと言われる。だが、ジャイアンツ以外の長嶋は長嶋ではない。あくまでも、自分の属するチームの一員だった。
 王は、システム化されたトレーニングとは無縁の人だ。スター選手になってからも、一人の師匠に学び続ける姿勢を崩さなかった。そこには、ベースボールの名手というよりは、野球における技の探究者がいる。
 力道山は、試合の95パーセントを悪逆非道の悪役レスラーに痛めつけられ続ける。毎週毎週テレビ中継の試合で、徹底的に痛めつけられ、最後の最後で正義の技を美しく決めた。
 東京オリンピック女子バレーの選手たちに、個人主義は見当たらない。徹頭徹尾チームプレーだ。練習の根本は、根性だ。東洋の魔女たちは、自分の属する集団の勝利のために、身も心も捧げるヒロインたちだった。

 喜久雄に、個人を尊重する考え方や科学技術を大切にする意識を見ることはできない。俊介に、アメリカ的なマイホームの意識や利益を重視する資本主義の影響を見ることはできない。マツと幸子に、アメリカの進歩的な女性を手本とするような感覚を見ることはできない。
 恩を受けた人には、恩で報いる。伝統の芸を受け継ぎ、芸を磨き続ける。この人と決めた人のために、全身全霊で尽くす。
 生きるための感覚として義理と人情と家族愛をもつ人々のことが、『国宝』では描かれている。そして、『国宝』の時代は、江戸ではなく昭和だ。