「いや、ほんまやで。万が一でも俺がお偉いさんなんかになってもうたら、それこそ『天下の弁天、万引きで逮捕』とか『天下の弁天、痴漢の現行犯』とかな、一番みっともない姿晒(さら)して、この世界から堂々と干されたるわ」

「弁ちゃん、ほんま変わってへんわ」

「いや、ほんまやて。唯一、王様を笑えんのが芸人やで。それが王様になってどないすんねん」
 
 人気が出て、多くの観客を喜ばせるのが、芸人だと思っていた。確かに、真の芸人には観客を魅了する芸とともに、弁天が言っている面がある。
 喜久雄と俊介に「唯一、王様を笑えんのが芸人やで」という意識があるとは思えない。


(略)悔しいやら情けないやらで、「ここでこうせなんやったら、俺、一生、後悔するわ」と先に呟きまして、不貞腐れている喜久雄に掴み掛かりますと、そんな気持ちなら役者なんかやめてしまえと、顔だろうが体だろうが容赦なく殴りつけたのでございます。(280回)

 この時の徳次は、実に真っ当な考えと行動を見せている。
 歌舞伎のためなら一人の女性を犠牲にしても仕方がないと思っていた喜久雄は、自分の誤りに気付いたようだ。だが、そこから喜久雄が、今までの考えをすっかり変えたとはまだ思えない。
 
 弁天と徳次は、喜久雄と俊介以上に、独りで生きていかなければならない辛さと下積みの苦労を味わっている。