朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第323回2017/11/28
 
 綾乃にしてみれば、外へも出してもらえず、何もすることがない状態が最も苦痛だったろう。どんなに喜久雄と徳次と市駒に心配され、大切に守られても、綾乃は自分の居場所を見つけられなかっただろう。
 春江は、綾乃を病人扱いしなかった。さらに、子ども扱いもしなかった。まるで、使用人のように次から次へと綾乃に用事を言いつけた。春江の所は、弟子もいれば人の出入りも多い。用事はいくらでもある。
 喜久雄の子とは言え、他人の子を預かりながら、こき使うことはなかなかできない。綾乃に反発されたり、逃げ出されたりしたら、面目を失くしただろう。それなのに、春江は自信を持って、綾乃に家の手伝いをさせた。春江には、この方法が、薬から立ち直るにはよい方法だという経験があったのだろう。