朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第325回2017/11/30

その一

 いきなり事実に基づくことが出てきた。

略)その脚本は、昭和二十六年に初演された舟橋聖一脚色、谷崎潤一郎監修によります戯曲を元にした壮大な一大絵巻(略)

 脚本『源氏物語』は、事実に基づいたものといえる。
 昭和の演劇史に沿いながら物語が展開していることを感じる。

その二

「おめえ、大したもんだよ。自分が世話になってきた親分さんの顔、ちゃんと立てたんだってな?(略)俺はな、そういう奴を買うんだよ。世のなか、自分の損得でしか動かねえ奴ばっかりだ」(324回)

「うちの娘婿がやったことを咎(とが)められる奴(やつ)が、この世界にいるんですかね? あいつを咎めるってことは、自分たちを咎めることだ。自分たちの芸を汚すことだぜ。役者が立派なふりしてどうすんですかい? いいですか。立派な人間じゃねえからこそ立派ってこともあるんだよ」(325回)

 
あまりにも、タイミングよく千五郎が出て来たので、都合良すぎないか、と思った。が、千五郎の言い分には筋が通っていた。
 そして、この感覚は、以前に弁天が言っていたことに通じる。

「(略)唯一、王様を笑えんのが芸人やで。それが王様になってどないすんねん」(287回)


 
千五郎と弁天が言ったことの底にある精神は、「芸人」に限らないと思う。