朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第361回2018/1/7

 大阪に来た喜久雄が役者への稽古に慣れてきた頃、徳次は、源さんのような番頭になるのだろうと思わせられた。そうはならなかった。北海道から戻った徳次は、歌舞伎の大部屋役者兼、喜久雄の付き人のようなことをしていた。徳次が一貫してやっていた事は、喜久雄の付き人だが、職業としての付き人ではない。まさに、喜久雄の面倒をみてきたと言える。
 ところが、今は、付き人なら、喜久雄の若い弟子がいる。マネージャーなら、女将というよりもマネージャーと言うにふさわしい彰子がいる。さらに、面倒をみるべき喜久雄は、既に一流の役者で四十代に差しかかっている。今の徳次は、源さんのように一途に丹波屋に仕えるという位置にはいない。
 喜久雄本人はもちろんだが、市駒や綾乃は徳次を今でも必要としているが、徳次は自分の役目が終わろうとしていることを悟っているのであろう。そしてまた、徳次自身も今の自分に飽き足りなくなったのであろう。
 日本で、バブルがはじけた頃は、中国では経済発展の始まりの頃と言えよう。日本の企業はまだそれほど中国進出に本格的に動き出してはいない頃だ。そこでは、徳次ような男の活躍の場があるかもしれない。それに、徳次の実父は、中国にいるかもしれない。

 この徳次、元は長崎で貿易業を営んでいた華僑が芸者に生ませた子で、生後しばらくは、焼け残っていた東山手の洋館を借りてもらい、母子二人で不自由ない生活をしていたのですが、この華僑の父親というのが,山っ気の強い男でして、終戦の混乱も落ち着いてきますと、一つ大勝負に出たいと、本妻とその子供たちはもとより、徳次やその母も捨て置きまして、生まれ故郷の中国福建省へ向かったのでございます。(17回)