朝日新聞連載小説『国宝』吉田修一・作 束妹・画第376回2018/1/22 俊介の同時襲名から、早くも三年が経っていた。喜久雄にも俊介にも大きな変化はないようだ。
 
 登場した歌舞伎役者の中で、小野川万菊は、二代目半二郎に匹敵するほど紙数を割かれている。
 万菊の芸の凄みは、次のように描かれていた。
 
 広い劇場のなか、どこかにぽっかりと穴が空いているようで、今にもそこから何かが出て来そうな、そんな不気味さで客席全体が震え上がりそうになったまさにそのとき、まるで人魂のように、我が子を探し狂女となった小野川万菊が、花道に現れるのでございます。班女の前はそろりそろりと花道を舞台へ向かいます。その姿、その色、その陰影、まるでこの世のものとは思われず、円山応挙が描いた幽霊がそこに現れたかと思うほどのおどろおどろしさでございます。(95回)

 
また、その私生活では、マンションに住み、そこに海外のインテリアを施すなど、歌舞伎役者らしからぬ感性を見せていた。
 その万菊の亡骸が、ドヤ街の安宿で見つかるとは、万菊についての謎が深まる。