小野川万菊と言うと忘れられない場面があった。

 あまりに強烈な体験に心が拒否反応を示すのですが、次第にその化け物が物悲しい女に見えてまいります。
「いや、こんなもん、女形でもないわ。女形いうもんは、もっとうっとりするくらいきれいなもんや。それが女形や」
 喜久雄が万菊の魔力を断ち切るように、隣の俊介に目を向けますと、やはり何かに憑かれたように舞台を凝視しております。
「こんなもん、ただの化け物やで」
 何かから逃れるように、笑い飛ばした喜久雄の言葉に、このとき俊介は次のように応えます。
「たしかに化け物や、そやけど、美しい化け物やで」と。
 実はこの日、二人が目の当たりにした小野川万菊の姿が、のちの二人の人生を大きく狂わせていくことになるのでございます。(95回)


 この言葉は、俊介の出奔と丹波屋への復帰、喜久雄の新派への移籍と歌舞伎への復帰を指しているのか。
 それとも、まだ語られていない、「二人の人生を大きく狂わせていくこと」があるのか。